帝《みかど》は、山科言経《やましなときつね》の報告を聞いて、当然のように激怒した。
「おのれ、信長《のぶなが》め。もとはといえば、尾張《おわり》の田舎大名の分際《ぶんざい》で、そこまで指図だてをするか」
言経は、蛙《かえる》のように平伏していた。
もちろん、信長の言いたいことは、その場のだれもが理解していた。一刻も早く誠仁親王《さねひとしんのう》に位を譲り、引退せよということである。
のちに正親町《おおぎまち》天皇と諡《おくりな》されるこの帝は、当年、六十六歳の高齢であった。本来ならば、三十を過ぎた壮年の誠仁親王に位を譲ってもいい年齢である。
ただし、このところ皇室は、天皇が引退して上皇《じようこう》になり、院政《いんせい》をもって国を動かすという方法をとらず、天皇は終身天皇であり、亡くなった段階で、初めて皇太子が跡を継ぐという形ができあがっていた。
信長は、早くから天皇家に接近していたが、天皇家の権威を守ることに熱心な帝は、信長と表面上の妥協はするものの、本質的には、その下風《かふう》に立とうとは決してしなかった。いや、それはこの国の王者としての誇りが許さない。
その気性を見抜いた信長は、早くから皇太子の誠仁親王に接近していた。
元来、老齢の父親と息子は、仲が悪いのが普通である。
息子としては、早く跡を継ぎたい。いつ、父親が若い女と通じて、そのあいだに生まれた子を、別に皇太子に立てようとするかもしれないからだ。こうしたことは、過去に何度もあった。
いかに皇太子の座にあるとはいえ、それは父親の一存で、いつでも変えられることである。それゆえ、皇太子が壮年であればあるほど、父親の引退を、心の底では望んでいるのである。
信長は、この機微《きび》を知っていた。だから、早くから誠仁親王と親交を結び、その腹心の公家も選び抜いて、親王につけてある。いわば、現在、正親町政権が引退しても、ただちに、つぎの政権が発足する形はできているのである。
ただ、それを今日まで頑強《がんきよう》に拒んでいたのが、いまの帝であった。それに対し、信長は、ついに最後通牒《さいごつうちよう》を突きつけたのである。
帝は、政治的手腕に長《た》けていたため、その側近の選び方も実力主義であった。
五|摂家《せつけ》(近衛《このえ》、九条《くじよう》、二条《にじよう》、一条、鷹司《たかつかさ》)でたらい回しにする関白も、なれる家柄が決まっている左大臣・右大臣も、頼りにはならない。帝が、側近として重用しているのは、中級公家の勧修寺晴豊《かじゆうじはるとよ》と吉田兼和《よしだかねかず》であった。
晴豊は武家伝奏《ぶけでんそう》、兼和は神祗大副《じんぎたいふ》として、表向きの役職に就いているが、これは家柄からいって、それ以上の役職に抜擢《ばつてき》できないからで、事実上は、大臣並みの相談を受けている二人であった。
帝はまず、もっとも信頼している晴豊に問うた。
「どう思う、晴豊」
「まことに申し上げにくきことながら、やむを得ぬ仕儀《しぎ》かと存じます」
晴豊は頭を下げた。
「朕《ちん》に退位し、この御所を立ちのけと言うのか」
晴豊は答えなかった。しかし、無言のまま平伏しているその姿は、その言葉を肯定していた。
「兼和、そちはどう思う」
「はっ。まことに無念なことながら、わたくしめも勧修寺殿の意見に同意いたしまする」
「おのれ、信長め」
帝は、怒りのあまり立ち上がった。そして、手に持っている笏《しやく》をへし折った。
怒りの凄《すさ》まじさに、晴豊、兼和、言経の三人は首をすくめた。
「廟議《びようぎ》を開く」
しばしの沈黙のあと、帝はそれを口にした。
正式な朝廷の最高会議である。大極殿《だいごくでん》に、関白以下高官が集まり、御簾《みす》の中に座《ざ》す帝の前で、重大な問題を話し合う。
もっとも最近は、そのような廟議が開かれることはまれで、ほとんど略式のものであった。また、そういう略式のものでなければ、帝は、晴豊や兼和のような身分の低い者と話すことができないのである。
この点で言えば、もともとの身分にかかわらず、いかなる者でも秀吉《ひでよし》のように重役になれる信長の体制とは、根本から違っていた。
ただ、何事も正式な決定は、廟議を経て行われる。たとえば、天皇の退位および新天皇の選任といった重要な議題は、あらかじめ下交渉で話し合われるにしても、正式決定されるのは、やはり廟議なのである。
それを招集するということは、もはや、結論は明らかであった。
「おのれ、信長め。いまに見ておれ。かならず、この借りは返す」
天皇は、老齢とは思えぬ凄まじい憤怒《ふんぬ》の相を浮かべ、しばらく無言で唇を噛《か》みしめていた。
「そうか、そうか。それは、まことにめでたい。これで、ようやく目の上の瘤《こぶ》が取れたわ」
織田《おだ》信長は、上機嫌であった。
天皇が退位し、同時に出家し、京都|双ヶ岡《ならびがおか》の仁和寺《にんなじ》に入ったこと、そして、とりあえず誠仁親王が新しい帝として践祚《せんそ》したことが、その日のうちに、信長のもとへ伝えられたのである。
践祚とは、とりあえず天皇の位を受け継ぐことであり、正式な即位の令は、また別の機会に行われる。
信長は、ただちに京都|所司代《しよしだい》に任じている織田家の文官、村井貞勝《むらいさだかつ》を呼んだ。
「よいか。このたびの即位の令は、後世の語り草になるような華麗なものにいたせ。いくら費用がかかってもかまわぬ。よいな、金に糸目をつけるでないぞ」
「かしこまりました」
貞勝は、むしろ顔をほころばせた。こういう派手なことは、決して嫌いではないのである。
「さらに申しておく。これは、ごく内々のこととして、新帝にお伝えせよ」
「はっ」
貞勝は、かしこまった。
「まず、この信長を関白に推任《すいにん》していただくこと。そして、嫡子信忠《ちやくしのぶただ》を将軍に推任していただくことじゃ」
「それはまた、めでたいことでござりますな」
信長は笑って、
「おそらく、とり巻きの公家《くげ》どもは、武家の身で関白になった者など一人もいないとか、征夷《せいい》大将軍は源氏《げんじ》の棟梁《とうりよう》でなくてはならぬとか、いらぬことを騒ぎたてるであろうが、かまわぬ。これは、この信長の意向じゃと伝えよ。もし、異議があるならば、じかにこの信長に申し出るように、かように申し伝えるのだ」
「かしこまりました」
貞勝も笑った。
それならば、苦情を申し立てる人間など、一人もいないにちがいない。なにせ、あの剛毅《ごうき》な前帝すら、強引に退位に追い込んだ信長である。
つづいて、大坂《おおさか》に残っていた丹羽長秀《にわながひで》がやってきた。信長の呼び出しに応じてきたのである。
「五郎左《ごろうざ》。いよいよ、頼みごとができた」
「頼みごととは、恐れ入ります」
「何かわかるか」
「もちろん、察しております。大坂に城を造ることでござりましょう」
「さすが、五郎左じゃのう」
信長は上機嫌だった。
大坂には、すでに城がある。
ここには、かつて石山本願寺《いしやまほんがんじ》城という巨大な城があった。一向一揆《いつこういつき》の拠点である。信長は、これとほぼ十年にわたって戦い、ようやく朝廷の力を借りて、講和に持ち込み、本願寺を紀州《きしゆう》に退去させた。
ただ、その際、放火・略奪が相次ぎ、天下の名城といわれた石山本願寺城は、灰燼《かいじん》に帰してしまった。その後、仮普請《かりぶしん》のように建てられたのが、現在の大坂城である。
大坂という名前も、信長が、ちょうど岐阜《ぎふ》や安土《あづち》で行ったように、あたりの古地名から、天下布武《てんかふぶ》にふさわしい名として選び出したものであった。だが信長は、いずれ、その名も変えるつもりでいる。
とりあえずは大坂と呼ばれている地に、仮普請の小城がある。
だが、信長はかねてから、この地を織田政権の最大の本拠地にすることを望んでいた。石山本願寺と徹底的に争ったのも、実はそのためであった。
日本の首都は、たしかに京都である。京都は、約八百年の王城の地であるが、信長にしてみれば、いろいろと気に食わないことがあった。
まず、海に面していないということである。織田政権は、貿易の利を活《い》かし、巨万の富を積むことによって、天下を取った。
だが、これまでの本拠地、岐阜および安土は、陸上交易の中心地ではあっても、海上とは離れている。堺《さかい》を直轄地として組み入れてはいるが、本拠地である安土とは、それほど近くはない。
これに対して大坂は、大坂湾という巨大な海に面しているだけではなく、船を通じて瀬戸内海を街道のように伝って、九州へ行くこともできる。
なおかつ、巨大な平野が広がり、町を築くにはもってこいの地形である。
また、多数の人口を養うためには、水の供給が欠かせないが、大坂平野の背後には、琵琶《びわ》湖という天然の貯水池がある。
もちろん、この琵琶湖と淀川《よどがわ》をつなぐ水路を造れば、北陸から近江《おうみ》、そして京を通って大坂を縦貫《じゆうかん》する大交易路ができることにもなる。
「いかなる城にいたしましょうや」
長秀は、そのことをたずねた。まず、信長の意向が、この建物のもっとも重要な眼目《がんもく》である。
「三国一の居城にせよ。そして、水軍も城の下から出撃できるような形にするのだ」
「されば、安土を数倍、広げたようなものになりますな」
安土城も、小規模ながら、琵琶湖にすぐに出られるように、港のようなものが付属しているのである。
「安土を広げるとは、五郎左も肝が小さいのう。もそっと大風呂敷《おおぶろしき》を広げたらどうだ」
信長は笑った。
「これは恐れ入りましてござります。さっそく縄張《なわば》りをいたし、ご見参《けんざん》に参らせるでござりましょう」
「うむ。頼んだぞ」
信長は、傍《かたわ》らの森蘭丸《もりらんまる》を呼んだ。蘭丸は桐《きり》の小箱を持って、しずしずと前に進んできた。
「当座の引き出物に、これを与える」
信長は言った。
蘭丸を通じ、長秀はそれを受けとって驚いた。それは、信長秘蔵の茶器、大井戸茶碗《おおいどぢやわん》であった。天下に名物数あれど、五本に入るほどの名器である。
「これを拙者に? かたじけのうござりまする」
長秀は感動のあまり、声を詰まらせて平服した。
「そちの縄張りの才を見るのが楽しみよ」
信長は、上機嫌で言った。
安土城の工事を総監督したのも長秀で、信長は、ことのほか長秀の築城の才を愛していた。