京《きよう》にある信長《のぶなが》は、新しい朝廷の秩序づくりの黒幕として、着々とその体制を固めてきた。
まず、先帝|正親町《おおぎまち》天皇のあとに即位した誠仁親王《さねひとしんのう》、つまり新帝を御所《ごしよ》に迎え、関白《かんぱく》推任の儀《ぎ》を執《と》り行った。
きわめて異例のことながら、新帝には武士出身の関白がついたのである。
かつて平治《へいじ》の昔、武士の平清盛《たいらのきよもり》が太政大臣《だじようだいじん》になったことはあるが、その一つ上の官職であり、天皇の臣下としては最高位である関白に武士が就任するなどということは、前代未聞のことであった。
「かたじけのうござります」
信長は御所に参内《さんだい》し、新帝の前で謝辞《しやじ》を述べた。
「本来ならば、即位の礼を盛大に執り行い、その上で、百官を任命なさるところでござりましょうが、しばらくのご辛抱《しんぼう》でござる。むしろ、日本全土を平定してから、各国の大名に臣下の礼をとらせ、あらゆる国からの貢ぎ物で飾って、壮大なる礼を営むべきでござりましょう。もうしばらくのご辛抱を、お願いいたします」
「では、それはいつになるのか」
新帝は、信長にたずねた。
「あと一年。一年お待ちいただければ、充分と存じます」
「なに、一年。この乱世があと一年で、本当に終わるというのか」
新帝は、信じられない面持ちで、信長を見た。
「ご安心くだされ。西国《さいごく》は四国を除いて、この信長の掌中《しようちゆう》にあり、逆らう者はおりませぬ。四国も、まもなく我が支配下に入ります。残すところは、東国《とうごく》のみでござります」
「東国と申せば、関東の北条《ほうじよう》か」
「はい。そして、越後《えちご》の上杉《うえすぎ》でござりましょう」
「陸奥《むつ》はどうじゃ」
「伊達《だて》という元気者がおりますが、まだまだ若造《わかぞう》でござる。敵ではござりませぬ」
「しかし、北条は五代にわたって、関東に力を蓄え、その勢力は侮れぬものと聞くが」
「しょせん、井の中の蛙《かわず》でござる」
信長は言った。
「ほう、蛙と申すか」
「左様《さよう》。蛙でござる。そのようなものは、この信長にとって、敵ではござりませぬ。されど——」
と、信長はここで表情を引き締め、新帝に向かって一礼した。
「戦いを有利に進めますために、一つお願いの儀がござります」
「ほう、なんじゃ。申してみよ」
「我が息子、信忠《のぶただ》めを征夷大将軍《せいいたいしようぐん》に、なにとぞご推任くださいますよう」
「その儀は、聞いておる。征夷大将軍か。つまり、東国の夷《えびす》どもを討つ、ということじゃな」
「ご賢察《けんさつ》」
信長は笑った。
まさに、そのとおりであった。
本来、征夷大将軍というのは、東国の賊《ぞく》を討つために、朝廷が設けた職である。
それが源頼朝《みなもとのよりとも》以来、武家の棟梁《とうりよう》の意味に変化してきている。
だが、もともとは朝廷において、天皇の勅令《ちよくれい》を受けて東国の賊を討つ役職だから、信長にとっては、実に好都合であった。
嫡男《ちやくなん》信忠が征夷大将軍に任じられれば、それは、東国で織田家の命に従わぬ者を賊として討っていい、ということを意味するからである。
「この上、主上《おかみ》のご意向に従うよう、北条めに勅諚《ちよくじよう》を下しおかされますように」
「ほう、勅諚か」
新帝は笑った。
いかに大名家とはいえ、天皇が直接命令書を下すなどということは、きわめて異例のことである。
「朝飯《あさめし》前に片づくのではなかったのか」
新帝は、ちらりと皮肉を言った。
信長は、いささかも怯《ひる》まずに、
「無用な戦を起こし、戦場において無辜《むこ》の民を犠牲にせぬためでござる」
新帝は、大きくうなずいた。
新帝の勅諚は、ただちに関東の小田原《おだわら》に本拠を持つ北条氏のもとに届けられた。
北条氏の当主は、氏政《うじまさ》である。
まだ若い。
都の帝から使いが来たというので、北条家の重臣たちが、続々と小田原城に集まってきていた。
氏政は、その場に出ると勅書《ちよくしよ》を放《ほう》り出して、みなを驚かせた。
「くだらぬ。信長の差し金だ」
「なんと書いてあるのだ、兄上」
弟の氏照《うじてる》が聞いた。
「近く遠征する織田《おだ》信忠の命を聞き、その指揮下に入れという内容よ」
氏政は、不快そうに言った。
一同にざわめきが走った。
「信忠と申せば、あの織田の嫡男の?」
「そうだ。城介《じようのすけ》と名乗っていたあの信忠が、なんと、このたび征夷大将軍に推任されたという」
「将軍じゃと? 御屋形《おやかた》様、それは、まことのことでござるか」
一門の長老である上総入道道感《かずさにゆうどうどうかん》(北条|綱成《つなしげ》)が言った。
綱成は、もともと北条氏ではなく、今川《いまがわ》家の家臣だったが、抜群の器量を持っていたため、先々代の氏綱《うじつな》の厚い信任を受け、その娘を得て、北条姓を名乗ることになったのである。
もはや六十を超し、現役からは引退しているが、一門の最長老として、氏政の家臣に人望があった。
「成り上がりの織田の、それも信長ではなく、その息子の信忠|風情《ふぜい》が征夷大将軍になるとは、まさに末世《まつせ》じゃのう。だが、まことのことらしい」
氏政は吐《は》き捨てた。
綱成は目を閉じた。
先代の氏康《うじやす》が生きていたころは、まさに考えられもしなかった情勢の変化であった。
北条は、まだ四代目とはいいながら、関東では名門の家柄である。
その名門の誇りから見て、信忠風情に従うなどということは、耐えられないことではあった。
だが問題は、その背後にある父信長の実力である。
「それで、御屋形様は、どうなさるご所存か」
閉じていた目を開けて、綱成は問うた。
「知れたこと。その使いを追い返し、そのような命には従えぬと言ってやることよ」
「それは得策とは言えませぬな」
綱成は言った。
「なぜだ」
氏政は、血走った目を向けた。
「仮にも、帝のお使いでござる。無礼があっては、なりませぬ。いかに納得がいかぬとはいえ、主上の推任を得た以上、将軍は将軍でござる。その将軍に逆らえば、朝敵《ちようてき》となり申す」
「朝敵」
氏政は、怒りをさらに増幅させた。
「このわしが、朝敵になるというのか」
「このままではなりまする」
「では、どうしろと。まさか、信忠の命令に従うというわけでもあるまい」
「ここは、とりあえず使者をもてなし、その上で回答を適当にはぐらかせて、言質《げんち》は取られずに返すべきでござる。その後のことは、やはり弓矢に訴えるしかござりますまい」
綱成は、重々しい声で言った。
やはり、帝という切り札は大きい。それを敵に押さえられているのである。
「それで、勅使《ちよくし》には、どなたが見えられたのか?」
気を取り直すと、綱成はたずねた。
「勧修寺《かじゆうじ》、と申す公家《くげ》だそうな」
氏政は、吐き捨てるように言った。
「勧修寺? 聞かぬ名でござるな」
綱成が首をひねるのも無理はなかった。
都から遠く離れた関東で、知られている公家といえば、近衛《このえ》とか二条《にじよう》、九条《くじよう》といった、関白を務められるほどの高級公家ばかりである。
「切れ者でござる」
それまで黙っていた氏政の末弟、北条|氏規《うじのり》が言った。
一座の人々は、いっせいに氏規の顔を見た。
「知っておるのか?」
氏政がたずねた。
「見知ってはおりませぬ。しかし、帝が、いや先帝が右腕とも頼る御方だと聞きおよびます」
氏規は、井の中の蛙が多い北条家のうちでは、中央の情勢に明るい別格の存在であった。
それというのは、北条氏康の四男坊に生まれた氏規は幼いときに、強大な隣国であった今川家に人質に出されたからだ。
そのとき、隣の屋敷にいたのが三河松平《みかわまつだいら》氏の人質、松平|元康《もとやす》すなわち、いまの徳川家康《とくがわいえやす》であった。
氏規は、家康と仲がよかった。
今川家が武田《たけだ》と徳川に滅ぼされると、氏規は北条家に戻されたが、人質時代につちかった人脈や見聞は、氏規を北条家の外交官的存在にしていた。
「御位《みくらい》はいかに?」
氏照が言った。
「たしか、参議《さんぎ》と聞きおよびますが」
氏規は答えたが、氏政は首を振って、
「いや、違うぞ。大納言《だいなごん》と聞いた」
「では、除目《じもく》(大臣以外の諸官職を任命した儀式)があり、ご昇進されたのでしょう」
参議は四位相当の官だが、大納言は三位《さんみ》相当である。
(おそらく新帝は、父帝の腹心を取り込むために、位を一つ上げたのであろう)
参議もなかなか重い官だが、大納言はそれ以上だ。
これより上は、大臣しかない。
氏規は、そう判断した。
「そちが、応接せよ」
氏政は、氏規に向かって突然、言った。
「拙者《せつしや》が?」
氏規は、意外な顔をした。
氏政はうなずいて、
「わしは、都のお方が苦手じゃ。そちに馳走役《ちそうやく》を申しつけるゆえ、使いの真意を聞き出せ」
「兄上、いや、御屋形様——」
「よいな、しかと申しつけたぞ」
馳走役とは、接待係のことだ。
否《いや》も応《おう》もなかった。
氏規は、仕方なく装束《しようぞく》を改め、勅使の前に出て平伏した。
「当主氏政より、馳走役を命じられました北条氏規と申す者、なにとぞお見知りおきを願い奉《たてまつ》る」
「おうおう、氏規殿と申されるか。ご当主氏政公のご縁者かな」
勧修寺|晴豊《はるとよ》は、上機嫌だった。
副使の吉田兼和《よしだかねみ》とともに、先ほどからいたれり尽くせりの接待を受けていたのである。
(これで、夜は女子《おなご》でも忍んでくれば申し分ない)
もはや、先帝に対する忠誠心は忘れかけていた。
晴豊のような中級公家は、このような乱世でもないかぎり、出世の見込みはない。
新帝が、織田信長を関白に、信忠を征夷大将軍に任じたとき、そのおこぼれを頂戴《ちようだい》する形で、晴豊も大納言になった。
これは、晴豊の心を変えさせるのに充分な褒賞《ほうしよう》であった。
「お察しのとおり、舎弟《しやてい》でござりまする」
とりあえず氏規は、顔を上げて晴豊の質問に答えた。
「おう、ご舎弟とな。それはかたじけない。そのような身分の者を、この身《み》の馳走役となすは、北条殿の志《こころざし》が知れるというものじゃ」
「恐れ入ります」
「この小田原は、よいところじゃのう」
晴豊は、扇《おうぎ》を取り出し、口もとを隠すように目の前で開いた。
「景色がよい。酒がうまい。魚もうまい。都を離れて暮らすなら、このようなところに庵《いおり》を結びたいものよ」
「お誉《ほ》めにあずかり、光栄でござる」
氏規は、今度は深く頭を下げた。
「なによりも、民の暮らしが平穏なのがよい。この乱世で、このような楽土《らくど》があろうとは、この身も知らぬことであったわ」
そろそろきた、と氏規は思った。
公家は、肝心の話とはまったく関係なさそうな花鳥風月《かちようふうげつ》のことを話すことがよくある。
だが実際は、それこそ「本題」であって、暗《あん》に質問したり、念を押したりしているのだ。
それがわからなければ、都の人間と話す資格はない。
田舎者《いなかもの》とさげすまれ、まともに相手にしてもらえなくなる。
しかし、それでも「田舎者め」と直接、口に出して言ってくれるなら、まだいい。
公家たちは、そうは言わずに、黙っているだけなのだ。
幸い氏規は、そういう機微《きび》がわかる。
人質となっていた今川家は、武家でありながら公家社会だった。
そのときは、いやでいやでたまらなかったが、そういう公家の「話し方」がわかることが、氏規の北条家における地位を高めているのである。
人生とは、皮肉なものだ。
いま、晴豊は、「この国が平和だ」と言った。
それは、当然、「新帝の命令をおとなしく聞いて、この国を保て」という意味なのである。
「お誉めにあずかりまして、うれしゅうござる」
氏規は、まず礼を言った。
「——当家の政《まつりごと》がよいとの、お誉めでもござるな」
「そうじゃな。この国が安穏《あんのん》なのも、北条殿の政がよいからじゃ」
「もったいなきお言葉」
「この安穏を失うてはならぬの」
晴豊は、さらりと言った。
それは、勅諚に従って、おとなしく降参しろという意味だ。
「この坂東《ばんどう》(関東)には、一所懸命《いつしよけんめい》と申す言葉がござる」
「ほう、いかなる意味かの?」
「左様。武家も百姓も、おのれの土地を命を懸《か》けて拓《ひら》き、拓いた土地は命を懸けて守るということでござる」
氏規は、一語一語、区切るようにして言った。
もちろん、それは、下手に土地を取り上げようなどと考えれば、命を懸けても抵抗する、という意味である。
「ははは——」
晴豊は突然、笑った。
「ご舎弟殿は、何かこの身に申されたいことでもあるかな」
「いえいえ、とんでもござりませぬ。おそれ多くも帝のご使者、大納言の君に、田舎大名の舎弟|風情《ふぜい》が何を申し上げることがござりましょうか」
氏規は、手をついた。
「身には、わからぬな」
「————」
「いったい北条殿は、なんとお考えか。一所懸命とやらを通されるか。それとも、この国の安穏を守られるか」
「守りましょう。それが、国主の務めでござる」
「ほう、守られるかの」
「御意《ぎよい》。国の安穏を守るは国主の務め。たとえ、何が起こりましょうとも、我が北条一族は、この国を守らねばなりませぬ」
ここが肝心《かんじん》かなめのところだった。
仮に、帝の勅諚《ちよくじよう》を受け入れて、織田軍に降参したとしよう。
その後も北条は、この相模《さがみ》、伊豆《いず》の二国の国主として、その地位を保てるかどうか。
「なるほどのう。ご舎弟殿は、なかなかの切れ者とお見受けした」
「恐れ入り奉る」
「この国に一刻《いつこく》も早い安穏をもたらすことこそ、帝のお望みじゃ。そのためには、無理なことは許されぬ。無理を通せば、かならず兵乱が起こるでの」
「つまり——」
氏規は、唾《つば》を飲み込むと、
「我らの領国には、いささかも手をつけぬと、仰せられるのですな」
「これこれ、そう先走りするものではない」
晴豊は、たしなめた。
「先走りでござるか?」
「左様、天下が治まるのだ。織田殿の手でな。ならば、祝儀《しゆうぎ》は出さねばなるまい」
祝儀——それは、領地の割譲《かつじよう》のことであろう。
「田舎侍ゆえ、話が大きすぎて、ちとわかりかねまするが。天下の祝儀とは、いかほどのものでござるか」
晴豊は言った。
「天下の祝儀なれば、まず一国は差し出してもらわねばならぬ」
「それは、伊豆を、ということでござるか?」
氏規の問いに、晴豊は首を振った。
氏規は、愕然《がくぜん》とした。