長秀《ながひで》、蘭丸《らんまる》の一行は、馬を飛ばし、日に夜を継いで、わずか四日で武州八王子《ぶしゆうはちおうじ》城に着いた。
ここは、もともと北条《ほうじよう》家の当主|氏政《うじまさ》の弟、北条|氏照《うじてる》の持ち城であったが、上野国《こうずけのくに》の関東管領《かんとうかんれい》として赴任した滝川一益《たきがわかずます》が、神流川《かんながわ》の一戦で北条勢を破り、その勢いで武蔵国北半分を奪った際、とりあえず対北条の最前線基地として確保したものなのである。
その八王子城に、北条家からの使者として、あの氏規《うじのり》が来ていた。
「お引き合わせしよう。こちらは、京《きよう》から参られた丹羽五郎左衛門尉《にわごろうざえもんのじよう》長秀殿だ。そして、こちらは関白《かんぱく》殿下の懐刀《ふところがたな》とも言われる森《もり》蘭丸殿だ。こちらは、北条|美濃守《みののかみ》殿」
「氏規でござる。お見知りおきを」
氏規は、そう言って頭を下げた。
氏規自身、敵将であった滝川一益や長秀と、これほど近接《きんせつ》した距離で顔を合わせるのは、初めてのことであった。
戦場においては、相まみえることがあったとしても、その顔は兜《かぶと》と面頬《めんぽお》で覆《おお》われているので、見ることができない。
一益は、真っ黒に日焼けし、いかにも精悍《せいかん》そうな体躯《たいく》を持つ男であった。もう、とうに五十は過ぎているはずだが、四十そこそこにしか見えない。
一方、長秀のほうは、武将のわりには色白で、端整《たんせい》な顔だちをしている。
丹羽家は、織田家が尾張《おわり》にあったころからの譜代《ふだい》の家来で、穏《おだ》やかな人柄の人間が多いという話を、氏規は噂《うわさ》として聞いていた。
蘭丸は、これが男かと見まごうほどの美少年である。
だが、華奢《きやしや》なように見えるその身体も、意外に筋骨たくましく、鍛《きた》えられているものがあることを、氏規は感じ取っていた。
(さすがは、天下に名だたる織田家の家中。このような者は、我が北条にはおらぬわ)
氏規はその点、少々残念に、また寂《さび》しく思った。
「北条殿。お疲れのところをすまぬが、さっそく武蔵国江戸とやらに案内していただきたい」
長秀が突然、言ったので、氏規は驚いた。
別に氏規は疲れていない。昨日、小田原《おだわら》から到着して、一晩ゆっくり休んだからだ。
しかし長秀は、昼夜兼行《ちゆうやけんこう》でこちらに来たから、ほとんど休んでいないはずである。その丹羽長秀が、休むどころか、ただちに江戸へ向かうと言う。
「お疲れではござらぬか?」
氏規は、思わず言った。
「なんのこれしき。まだ陽《ひ》も高い。どうせならば、この陽の高いうちに、江戸まで行き、一晩ぐっすり寝てから、検分いたしたほうが、手間が省けてよいというもの」
「なるほど、さすが、織田殿の家中の方は、言うことが違う」
お世辞《せじ》ではなかった。
もし、これが北条家の行事ならば、まず、かならずここで一泊休むということになっただろう。
そして出発は、おそらく明日の朝、遅くである。
となると、江戸に着くのは、その日の夕方。検分するのは、さらに翌日の朝からということになってしまう。
織田家は、それを今日行くことによって、一日ちぢめようというのである。
(なるほど。これではかなわぬ。武田《たけだ》も上杉《うえすぎ》も今川も負けたわけだ)
氏規に異存はなかった。
「では、参りましょう。ご先導を申し上げる」
八王子から江戸までは十里ほどの一本道である。たしかに、馬でたどれば、それほど時間はかからない。
ただ問題は、江戸には上方《かみがた》からの使者を泊めるような、まともな館《やかた》が一つもないという事実である。
「江戸に、城はござらんのか?」
長秀は、氏規にたずねた。
「かつてはござった。江戸城と申し、このあたりでは知らぬ者のない太田道灌《おおたどうかん》が建てた城でござる」
「おお道灌殿と言えば」
長秀は思い出した。
「歌人として有名な、関東管領|扇ヶ谷《おうぎがやつ》上杉家に仕える武将でござったか」
「左様《さよう》、さすが丹羽殿は、ようご存じだ。この道灌、歌の名人でござってな。はるばると都に上り、時に帝《みかど》に拝謁《はいえつ》したことがござる。そのときに、帝からそちの住まいいたすところは、どのようなところかと問われ、このように歌を詠《よ》んだのでござる。
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『我が庵《いお》は松原続き海近く
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富士の高嶺《たかね》を軒端《のきば》にぞ見る』」
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「なるほど、それが江戸の景色でござるか」
「左様、帝は御感《ぎよかん》あって、つぎのように歌を返された。
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『武蔵野は刈萱《かるかや》のみと思えども
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かかる言葉の花や咲くらん』」
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「なるほど。みごとな返しでござりますな。さすがは帝」
「いや、帝にそのようなお気持ちを起こさせた道灌の歌も、なかなかでござろう」
氏規は、自慢げに言った。
「それが江戸城でござるか」
「左様。そのころは、このあたりの要衝《ようしよう》でござった。しかしながら、我が北条家は小田原を発祥《はつしよう》の地とし、本拠といたしております。したがって江戸には、さほど力を入れず、いまは廃城《はいじよう》になっておる次第」
「左様か。江戸に入るのが、ますます楽しみになってきたのう」
「は?」
「いや、その『富士の高嶺を軒端にぞ見る』という歌でござるよ」
長秀は言った。
「おそらく、殿下好みの雄大な景色であろうと存じてな」
「そういえば織田殿は、いや殿下は、大きなもの、強いものがお好きだとうかがいましたが、そうでござるか。森殿」
と氏規は、蘭丸にも話を振った。
「左様でござる。このあいだも、武田攻めの帰りに、『余は、まだ富士を見たことがない。富士というものを見てみたい』と仰《おお》せられ、わざわざ駕《が》を枉《ま》げて、富士の山をご覧になったほどでござる」
「ほう、それでなんと仰せられた?」
蘭丸は苦笑して、
「それが、『これほどのものか』と仰せられたので」
それはつまり、あまり大きくないという意味であった。
「さすがは殿下。豪気《ごうき》なお方じゃのう」
氏規は、あえて追従《ついしよう》の笑いを浮かべた。
敗軍の将は、やりたくないこともやらねばならぬ。
一行は江戸に着くと、まず現在は使われていない江戸城へ向かった。
それは城とは名ばかりで、掻《か》き上《あ》げという技法でつくられた、砦《とりで》と言ったほうがいい平屋の建物であった。
掻き上げというのは、いちばん簡単な築城法で、堀を掘ったときに出た土を、そのまま積み上げて防塁《ぼうるい》にするというものである。建築費も、もっとも安くてすむ。しかも、外から見ると堀の先に土塁があるわけだから、防衛上もなかなか堅固である。
しかし、財力豊かな織田家は、こんなものはつくらない。土塁ではなく、高価な石をあちこちから運んできて石垣をつくるのである。
江戸城は、戸口にはすべて板が打ちつけてあった。足軽に命じて用意の釘抜《くぎぬ》きで板をはずし、一行は中に入った。
中は、畳などなく板敷きで、赤茶けた土ぼこりが、うず高く積もっていた。
氏規は、急いで掃除させると、まず織田家の一行を座らせた。
信長の代理である長秀が、当然のごとく上座に座った。
席次では、関東管領である滝川一益がそれに続くべきだったが、一益は蘭丸に席を譲ろうとした。
「さあ、森殿、先に着かれよ」
「とんでもござりません。滝川殿」
蘭丸は、慌てて辞退した。
年齢からいっても、現在の地位からいっても、一益は大先輩である。
「何を申す。貴殿は上様、いや殿下の使者ではないか。丹羽殿が正使なら、貴殿は副使であろう」
たしかに、その理屈なら、蘭丸が、あくまで「副使」である間に限るが、一益の上座に着くことができる。
しかし蘭丸は、あくまで辞退した。
「滝川殿は思い違いをされておる。拙者は、このたび丹羽殿の兵法を学ぶべく勝手に同行いたしたのでござる。副使ではござらん」
一益はそれを聞くと、もの問いたげに長秀を見た。
「そのとおりだ」
長秀は笑ってうなずいた。
「ならば、失礼する」
そう言って、一益は下座の上席に座った。
長秀と一益は本来は同格だが、いま現在の長秀は信長の代理だから、一人だけ上座に座るのである。
つづいて、蘭丸が、そして、それと向かい合う形で氏規ら北条家の面々が着席した。
「おうおう、北条殿。たしかに、軒端に富士の山が見えるぞ」
長秀は席をあたためる間もなく、すぐに立ち上がって、外を見た。
皮肉なことに、屋根の一部が壊れており、本当にそこから富士が見えるのである。
「真冬なら、もう少しよく見えまするがな」
氏規は言った。
この季節では霞《かす》んでいることが多い。
「ときに、北条殿。このあたりのくわしい地図はござらぬか?」
長秀の問いに、氏規はさっそく用意の絵図を出した。
平野の中に、ところどころ小山が盛り上がった地形である。
南は海に面し、そこには大きな川がいくつも注いでいる。
中央の山は「神田山《かんだやま》」とあった。
「この山を登るのに、どれくらいの時を要するのか?」
長秀は、閉じた扇子《せんす》で神田山を指した。
「左様、山といっても、丘のようなものでござるゆえ、小半刻《こはんとき》(一時間)もあれば充分かと存じます」
氏規は答えた。
「ならば、さっそく出立《しゆつたつ》いたそう」
長秀が言ったので、氏規は驚いた。
「これからでござるか」
まだ昼のうちとはいえ、あと一刻《いつとき》(二時間)もすれば陽《ひ》が沈んでしまう。
「山に登れば、眼下も一望のもとに見渡せるはずでござる。時がない。急ぎ参ろうではないか」
そう言ったとき、長秀のみならず一益も蘭丸も立ち上がっていた。
一益は、配下の者に松明《たいまつ》の支度を命じた。
帰りは、夜道になると計算してのことだ。
氏規は、一益がそんなことまで考えて準備していたのに驚いた。
「いつも、こうなのでござるか?」
氏規は、馬へ向かう途中、いちばん若い蘭丸に聞いた。
蘭丸は、笑みを返した。
「殿下のお仕込みでござる」
長秀は、真っ先に馬に乗り、神田山をめざした。一益も蘭丸も続く。「道案内」のはずの氏規が、それを追いかける形になった。
神田山に着くと、織田家の連中はさっさと登っていった。
しかし、氏規は道中の疲れもあって息があがってしまった。
休息して水を飲み、ようやく後を追いかけると、長秀らはすでに頂上近くの開けた場所で、あたりを検分していた。
「北条殿、みごとな眺めじゃの」
長秀が声をかけた。
氏規は、そこまで行って、長秀と並んで下界を見下ろした。
たしかにみごとな眺めであった。
広い平野に、いくつもの川、そしてその先に広がる光る海——氏規自身、江戸とはこれほど広い土地であったのかと、再認識するほどであった。
(道感殿の目に狂いはない)
氏規は、あらためて感心した。
長秀は配下に命じ、黒く長い筒状のものを持ってこさせた。
それは、氏規が初めて目にするものだった。
長秀は、それを氏規に渡すと、
「こうして目を当て、のぞいてみられよ」
そうしてみて、氏規は驚きの声をあげた。
「これは! 眼下の景色がまるで手に取るように——」
氏規は子供のようにはしゃいで、
「丹羽殿、これが話に聞く遠《とお》眼鏡《めがね》というものか」
と、問うた。
「左様、遠眼鏡でござる。殿下より拝領《はいりよう》した南蛮渡来《なんばんとらい》の品でござるよ」
氏規は、またそこで織田家をうらやましく思った。
こうした珍奇な品が家来の手にもあるということは、織田家がいかに富裕であるかを示していると言える。
「それにしても、なかなかの地でござるな。江戸とは」
長秀は言った。
蘭丸《らんまる》には、正直いってよくわからなかった。
たしかに景色はいいが、あちこちに無駄な山が多すぎる。
城を築くには、あまり適さない。
平野の真ん中に、一つだけ山があるのならよいが、そうではなく、あちこちに同じぐらいの山が分散している。
これは、築城のためにはよくない。適地が一つに定まらないからだ。
「蘭殿、いかがなものかな。この地は?」
長秀は言った。
「さて、小山が多いとみましたが」
「山か、山は困るが、小山ならかまわぬ。削《けず》ればよいではないか」
長秀は、そう言って笑った。
「山を削ると仰《おお》せられますか?」
森蘭丸は、驚きに目を丸くした。
「山とは申しておらぬ。小山ではないか。小山ならば削ればよい。そしてあまった土で、あのあたりの入り江を埋め立てれば、田畑と屋敷地が同時に得られるではないか。いかがだ、将監《しようげん》殿」
と、丹羽長秀は、滝川一益をその官名、左近《さこん》将監で呼んだ。
「いや、なかなか。たしかに町としてよいが、欠点もあるようだな」
一益が応じた。
「欠点とは?」
「大軍に攻められたらどうする? この平野では守るところがない」
「なるほど、お主らしい見方だ」
長秀は笑った。
一益は長秀と違って、戦略的な視点から都市計画を見る。
その意味から言うと、たしかに江戸は、周りに大きな平野が広がるだけで、山もなければ谷もない。
こうした地形で、敵を迎え撃つのは、たしかに難しい。
「なに。もはや天険《てんけん》や要害に籠《こも》って、敵を迎え撃つ時代ではない。敵を迎え撃つのは兵力と、そして鉄砲など新しい兵器だ。それさえあれば、敵など恐れるに足らん。第一、いかに平野とて、堀を深く掘った居城を建てれば、問題は解決する」
「そうかもしれぬ」
一益が、文句も言わずに賛意を表したので、長秀は驚いた。
これまでは、そういうことはなかったからだ。
一益は、苦笑いして、
「わしも関東管領《かんとうかんれい》の顕職《けんしよく》をいただいてから、いろいろと考えた。そしてものを見た。やはり、これからはそういう時代じゃ。敵を倒すよりも、敵の手から守るというよりは、むしろ大きな町をつくり、金を集め、商人を集めることこそ、最後の強さにつながるということだな」
蘭丸は、二人の問答を聞いていて、信長《のぶなが》が一益の目も見よと言った意味が、ようやくわかった。
長秀と一益は、それぞれ経済担当と軍事担当の目からものを見ているのだ。
だが、おそらくこれまでは対立していたであろう見解は、ここで一致したのである。
(これが、天下を取るということなのか)
蘭丸は不思議な感動をおぼえた。
「それにしても、山を削るとは豪気《ごうき》でござるな」
と、北条氏規が割って入った。
「いや。美濃守《みののかみ》殿。山ではござらぬよ。先ほどから申しておるとおり、小山でござる。富士《ふじ》のような山を削るのは無理でも、このような山なら削ろうと思えば削れる。かように申し上げておるのでござる」
「いや、拙者《せつしや》のような田舎侍《いなかざむらい》には、そのような豪気なことはまさに、思いもつかぬこと。それにしても、この江戸《えど》の地がお気に召されたようで、拙者、肩の荷を降ろし申した」
氏規は、もし織田《おだ》家が、この武蔵《むさし》を欲するというならば、ただちに差し出してもよいと思っていた。
とにかく、相模《さがみ》、伊豆《いず》よりは、北条家にとっては、このだだっぴろい武蔵のほうが、かえって価値のない国なのである。
「風水《ふうすい》から見ても、なかなかの地層とお見受けした」
長秀は慇懃《いんぎん》に答えた。
「ただし一つ、気になることがある」
「なんでござろうか?」
「水でござる」
と、長秀は西の山に没しようとしている太陽を眺《なが》めながら、
「この地は、この広い平野のわりには、川は小さいように思える」
「なんと、川が小さいと仰せられるか?」
(注:この当時、関東の川の代名詞である坂東太郎《ばんどうたろう》、利根《とね》川は、いまより東の地点を流れていた)
「そうだ。丹羽殿、それはわしも気になっていた」
一益が、ただちにうなずいた。
「多くの人を養う水が、はたして確保できるかな」
「しかし、いままで水が不足したことなど、一度もござらぬが」
氏規が異議を唱えると、長秀は笑って
「それはあの小さな城に、ほんのわずかな人数しか住まなかったからでござろう。ここを大きな町とし市となさば、美濃守殿、いかほどの人間がここに住むようになるとお思いか?」
「はて、五千、六千でござろうか」
「何を仰せられる。十万、二十万、あるいは場合によっては数十万の人間が、この地に住むことになるやもしれぬ」
「数十万?」
氏規は腰を抜かしそうになった。
それほどの数字を、北条家では日常、思い浮かべたことがないのである。
その必要もなかった。
兵を動かすとしても、せいぜい三万、多くて五万というのが、北条家の実力である。
もちろんそれを支える人口は、たしかにその数倍の者がいることはいるのだが、それにしても、数十万という数字は、この地に住む人々には無数の数字であった。
それを信長の家臣は、いともたやすく口にする。
(これでは負けるわけだ。この力の大きさはどうだ)
氏規は、なんとも言えぬうらやましさと妬《ねた》ましさを、目の前にいる織田家の侍に感じていた。
そのころ信長は大坂にあって、それまで丹羽長秀が奉行《ぶぎよう》をしていた新大坂城の工事を視察していた。
新大坂城はかつて石山本願寺があった場所にあり、わずかな距離で大坂湾に向かうこともでき、交通および経済の要衝として活用できる土地であった。
何よりも平野が広い。
大坂平野というのは、信長がこれまで見た平野の中でも、もっとも広いもののうちの一つである。そして、これだけ広大な平野だと、水が不足するというのが共通の欠点としてあるのだが、この地は大きな川が四通八達《しつうはつたつ》、いつでも水運が利用できるし、飲み水に困ることもない。
その秘密は琵琶《びわ》湖にある。琵琶湖という巨大ないわば貯水池が、この大坂の地へ大量の水を提供しているのである。
もともとこのあたりは、本願寺がそうであるように石山と呼ばれていた。大坂湾の船上から遠望すると、大坂平野の中心にこんもりと盛り上がった丘があり、それが瓦礫《がれき》を含んだ山であったからである。
しかし信長はそれを、このあたりの在所の名前をとって、大坂と改めた。小坂というのが本来の地名であったが、それを新たに大坂と呼ばせることにしたのである。
しかし、正直言って信長は、まだその名前では不満だった。かつて稲葉山《いなばやま》城下|井ノ口《いのくち》の里を、城の名も町の名も、中国の周《しゆう》の王朝が起こった場所の岐山《ぎざん》に因《ちな》んで岐阜《ぎふ》と改めたように、近江観音寺《おうみかんのんじ》城の近くに新たな巨大な城郭《じようかく》を築いたときに、都の名の由来である平安楽土に対抗して安土と名づけたように、この土地もいずれ正式な名をつけるつもりであった。
天下統一の都にふさわしい大きな名前が信長の好みである。大坂というのはその点、単なる大きい坂という意味であり、信長の好きな理念がこもっていなかった。
「そうだ」
信長は膝《ひざ》を叩《たた》いた。
「だれかある」
「ははっ」
小姓《こしよう》の一人が進み出てきた。
「岐阜に使いをいたし、政秀寺《せいしゆうじ》開山|沢彦禅師《たくげんぜんじ》を呼んで参れ」
「かしこまってござる。この大坂にお連れすればよろしいのでござるか」
「そうだな」
信長は考えた。大坂城はまだできていないから、泊まる場所はない。
「よい。それではとりあえず京に呼べ。わしも今日は都に戻る。都から禅師を伴って、もう一度この縄張りの場所に来よう」
信長はもう一度沢彦禅師に諮問《しもん》をして、新しい信長の都の名前を考えてもらおうと思ったのである。