明けて天正《てんしよう》十一(一五八三)年、四国戦線は、ついに片がついた。
阿波《あわ》での手痛い敗戦から全軍を引き揚げ、そもそもの本拠地である土佐《とさ》、岡豊《おこう》城に籠《こも》った長宗我部元親《ちようそかべもとちか》だったが、衆寡《しゆうか》敵せず、刀折れ矢尽きて、ついに天正十一年正月、織田《おだ》軍の軍門に降《くだ》ったのである。
元親は、島津《しまづ》の降伏にならって、剃髪《ていはつ》し、墨染《すみぞ》めの衣をまとい、まだ元服《げんぷく》したばかりの息子|盛親《もりちか》を連れて、織田軍の四国攻め総大将である羽柴秀吉《はしばひでよし》の陣営におもむいた。
「降参、つかまつる」
元親はそう言って、総大将の秀吉の前で、額を地にこすりつけた。
秀吉は、初め満面の笑みを浮かべ、そして、いたわりの表情を見せ、
「宮内少輔《くないしようゆう》殿。よく決断なされた」
と、讃《たた》えた。
秀吉の目は、その隣にいる少年に向けられた。
膝《ひざ》はついているが、顔を上げ、秀吉の目を敵意を持って見つめている。
「そのお子は?」
元親は顔を上げ、
「これなるは、千熊丸《せんくままる》と申し、拙者《せつしや》の子でござる。嫡男信親《ちやくなんのぶちか》が先年の戦いのみぎり、討ち死にいたしましたゆえ、いまはこの者が跡継《あとつ》ぎでござる」
「父上、それは違いまする」
少年は叫んだ。
元親は慌《あわ》てて、
「何が違うというのだ?」
「私は、千熊丸ではござりません。元服し、右衛門太郎《うえもんたろう》盛親との名をいただきました」
「左様《さよう》か」
秀吉は、その子供の不敵な面魂《つらだましい》に好意を持って、
「では、うかがうが、盛親殿はおいくつになられた?」
「当年とって、九つでござりまする」
「ほう。九つか」
元服は、ふつう十五歳で行う。
当主の急死などで、特例をもって十二、三歳でも行うことがあるが、九歳の元服というのは異例であった。
まだ子供である。
「羽柴殿。この盛親を連れてまいったのは、訳がござる」
「ほう、訳とは?」
「お察しくだされ」
元親は言った。
秀吉はもう、ひと目その姿を見たときからわかっていた。
人質である。
盛親を人質として預けるから、本領を安堵《あんど》してくれというのが、元親の望みであろう。
本領、それは土佐一国にほかならない。
考えてみれば、元親も哀れな男であった。
抜群の器量を持ち、一時は四国をほぼ統一するほどの勢いを示したのに、中央にそれより強大な織田政権が生まれたために、その軍門に降《くだ》るしかなかったのである。
しかも、最愛の息子信親を亡くすという不幸にも見舞われている。
「よかろう。土佐一国のこと、たしかに殿下《でんか》にお伝えする。おそらくは吉報があるでござろう」
秀吉は言った。
「かたじけのうござる」
「盛親殿。そう怖い目をせず、この筑前《ちくぜん》のもとに参《まい》らぬか」
秀吉は言った。
盛親は、警戒して後ずさりした。
「何も取って食おうというのではない。これからは、長宗我部家は織田軍の貴重な一翼《いちよく》を担《にな》うのだ。そのことをな、ぜひそなたにわかってもらいたい」
盛親は、覚悟を定めたのか大きく息を吸い込むと、胸を張って秀吉のもとに来た。
秀吉は、それを抱きしめると、
「おお、よう参られた。いいお子じゃ。胆力《たんりよく》もある。宮内少輔殿。このお子は、末頼《すえたの》もしい大将になられるでござろう」
秀吉は、そう言って笑った。