幸運のあとには、不運がやってくるという。
逆に大難のあとには、幸福がやってくるという。
天正《てんしよう》十(一五八二)年から十一年にかけての織田《おだ》家は、まさにそれであった。
本能寺《ほんのうじ》の変の直前、信長《のぶなが》は宿敵|武田《たけだ》家を葬った。
しかし、そのあとに本能寺の変という、危うく命を落としかける厄難《やくなん》に遭《あ》った。
だが、それを乗り越えた後は、中国征伐、九州征伐がともにうまくいき、正月になって、ついに四国も信長のものとなった。
そればかりではない。
北条《ほうじよう》も武蔵《むさし》一国を織田家に献上し、相模《さがみ》、伊豆《いず》の両国の主として、織田家の傘下《さんか》に入った。
信長の嫡子《ちやくし》であり、征夷大将軍《せいいたいしようぐん》となった信忠《のぶただ》を総大将とする十万の兵は、小田原《おだわら》城を無血開城させ、入城し、征夷大将軍信忠は上座で北条一門からの新年の賀《が》を受けた。
「上様を、この城にお迎えすることができ、北条家一同を代表し、お喜びを申し上げます」
当主|氏政《うじまさ》はそう言って、年下の信忠に頭を下げた。
「大慶至極《たいけいしごく》」
信忠は、短く言った。
その言い方が、氏政には気に入らなかった。
だが、こうなってしまっては、もはやどうしようもない。
いま、ここで怒りにまかせて信忠を討ったら、北条一門は滅亡するほかはない。
「小田原の海の幸でござる。田舎《いなか》ゆえ何もござりませぬが、これだけは他国に誇るべきものかと」
不機嫌で言葉が続かない兄、氏政に代わって、氏規《うじのり》が盛んに気を遣い、酒食は信忠一行をもてなした。
「かたじけない。美濃守《みののかみ》殿」
信忠は、ていねいに礼を言った。
「それでは一献《いつこん》」
氏規がみずから酌《しやく》をしようとすると、信忠は首を振って、
「いや。酒を飲む前に、余《よ》は征夷大将軍として申さねばならぬ儀《ぎ》がある」
「はて、何事でござりましょうや」
北条一門が不審の色を浮かべる中、信忠は立ち上がり、床の間を背にして、一通の書状を取り出した。
「征夷大将軍として申し渡す。この祝賀の儀が終わり次第、兵を挙げ、ただちに越後《えちご》の上杉《うえすぎ》を討て。これが余の命令であるとともに、かしこきあたりよりのご指示である。これがその勅諚《ちよくじよう》だ」
信忠は、書状を開いて一同に見せた。
それは、帝の御名御璽《ぎよめいぎよじ》がある命令書であった。
北条一門は、盃《さかずき》を放り出し、その場に平伏した。
「上様。申し上げたき儀がござる」
吠《ほ》えるような声をあげたのは、一門の長老、道感入道《どうかんにゆうどう》である。
「なんじゃ、何か不服があるのか」
「いえ。不服などござりませぬが、いま越後は雪に埋もれてござる。とても攻め入ることなどでき申さぬが」
「上杉の領国は、越後だけではない。上野《こうずけ》(群馬県)にも進出いたしておる。まず上野から上杉の勢力を駆逐《くちく》し、しかるのちに春、雪解けとともに越後を叩《たた》く。これが殿下のご意思じゃ」
「わかり申した。では、ただちに支度を」
「待て待て。新年の祝賀がすんでからでよい」
信忠は、そう言って、ふたたび席に着き、今度こそ氏規の酌を受けた。