一方、徳川家康《とくがわいえやす》は甲斐《かい》の国の領主、河尻秀隆《かわじりひでたか》と連携し、新たに織田《おだ》家の領国となった武蔵《むさし》で滝川一益《たきがわかずます》の軍と合流、常陸《ひたち》から下総《しもうさ》にかけての小大名を討つように命ぜられた。
下総には里見《さとみ》氏、常陸には佐竹《さたけ》氏がいる。
織田軍団の中でも選《よ》りすぐりの滝川軍団と、客分とも言うべき徳川軍団が力を合わせれば、このような征服事業はたやすいことであった。
織田軍の強大な力におびえきった両家は、一戦も交えずに、それぞれ人質を差し出し、服従を誓った。
あとは、陸前《りくぜん》、出羽《でわ》から磐城《いわき》にかけて勢力を張る伊達《だて》氏が、最後の大物であった。
その向こう、陸中《りくちゆう》から陸奥《むつ》にかけてのみちのくは、南部《なんぶ》氏や津軽《つがる》氏といった小豪族が蟠踞《ばんきよ》する地方にすぎない。
伊達家さえ、なんとかしてしまえば、あとはどうにでもなる。
伊達征伐軍の総大将に任ぜられた滝川一益は、佐竹家の主城、常陸城に入城し、今後の方針を練った。
「徳川殿。いかが思われる。ここは一戦なすべきか」
一益の言葉に、家康は首を振って、
「いや。まずは降伏勧告《こうふくかんこく》の使者を送るのが、至当《しとう》と存ずる。伊達家の当主|輝宗《てるむね》と申す男は、なかなか目端《めはし》のきく男とみえる。目端のきく男ゆえ、話し合いで片がつくでしょう」
「つくかな」
一益は危ぶんでいた。
「それに、近ごろ気になる話を聞いた」
「なんでござる?」
「当主の輝宗が、まだ若い嫡子藤次郎政宗に家督《かとく》を譲ったというのだ」
「それは異《い》なことを。輝宗は、まだ四十前のはず」
「そうだ」
家康は、不審な顔をした。
一益もうなずいて、
「そうだ。なぜそのようなことが起こったのか、いま調べさせておるが、輝宗の身体が悪いというわけでもないらしい」
「なるほど。では、まずそれを調べてからのほうがよろしゅうござるな」
家康は言った。
滝川一益は、もと甲賀浪人《こうがろうにん》、つまり忍者である。
忍者であるがゆえに、情報収集はお手のものである。
敵を攻める場合にも、滝川|子飼《こが》いの忍びの者が、相手を丸裸《まるはだか》にするほど情報を調べ尽くしている。
そういう滝川の特技があるがゆえに、家康は、とりあえず意見を差し控えた。
やがて、情報がもたらされた。
馳《は》せ帰った忍びの者の報告によると、伊達家内では、嫡男藤次郎政宗と次男|小次郎《こじろう》を推《お》す派が分裂して争い、その分裂に終止符《しゆうしふ》を打つために、輝宗は若くして藤次郎に家督を譲ったのだという。
「問題は、その藤次郎だ」
と、一益は言った。
「よほどの切れ者か、それとも輝宗が、我が子かわいさに跡を譲ったのか。その件を、しかと見極めなければならぬ」
滝川の言葉に家康はうなずいて、
「いずれにせよ、使いを出してみればわかるのではござらぬかな、その男の器量が」
「そうかもしれん」
結局、正使として滝川家の一益の甥《おい》である益重《ますしげ》と、徳川家から重臣|酒井忠次《さかいただつぐ》が副使として、政宗のもとにおもむいた。
政宗は、本拠の出羽の国|米沢《よねざわ》城で、この使者を引見《いんけん》した。
政宗は、二人の使者の顔を見るなり、いきなり立ち上がり、そして次の間から火縄《ひなわ》のついた鉄砲を持ってきた。
そして、いきなり正使滝川益重の額に、その銃口《じゆうこう》を突きつけた。
滝川は、真っ青になり慌てた。
「な、何をなさる」
「その面を、この種子島《たねがしま》で吹き飛ばせば、どんなに小気味《こきみ》よいことか」
片目に眼帯を当て、片目で狙《ねら》いを定める政宗の顔は、殺気に満ちていた。
正使の益重が、いまにも小便を漏らしそうなおびえた顔をすると、今度は政宗は副使の忠次に銃口を向けた。
忠次は、落ち着きはらっていた。
それどころか、懐《ふところ》から扇子《せんす》を取り出すと、さも暑そうに顔をあおいだ。
といっても、いまはまだ二月。
極寒の季節である。
「どうした、恐ろしゅうはないのか?」
「侍というものは、恐ろしゅうても、恐ろしいという顔はせぬものでござる」
百戦錬磨《ひやくせんれんま》の忠次は、落ち着きはらっていた。
「だが、ここで頭を吹っ飛ばされたら、犬死にだぞ」
政宗は言った。
当主といっても、まだ若い。
「もし、ここで頭を吹き飛ばせば、おそらく伊達殿の首は、この城の前に晒《さら》されることになるでしょうな」
「くそっ」
政宗は、鉄砲を引っ込めた。
「織田信長という男、運のいい男だのう」
政宗は、鉄砲を放り出すと、しみじみと言った。
益重は、まだ腰を抜かしている。
忠次だけが平静さを保ち、扇子を閉じ、膝《ひざ》に当てると言った。
「左様。たしかに運のおよろしい方でござる。しかし、力もお持ちだ」
そう言ったのは、運だけでなく実力もあるという意味である。
政宗は、首を振った。
「運よ。人間運こそが、すべてだ。もし、わしが十年早く、いや五年でもよい。早く生まれておったら、今日のようなことにはならなかったものを」
政宗はそう言うと、上座にどっかりと腰をおろし、胡座《あぐら》をかいて目を閉じた。
忠次は膝を進めて、
「さすれば、おうかがいしたい。降参でよろしいのでござるな」
政宗は、目を閉じたまま答えなかった。
忠次は膝を進めて、
「降参で、よいのでござるな」
と、声を張りあげた。
「よい」
政宗は、不快そうに一言、怒鳴りつけた。
「まことに祝着《しゆうちやく》でござる」
忠次は、そう言って頭を下げた。
益重は何が起こったのかわからず、まだぼんやりしていた。
伊達の降伏を知った奥羽の南部、津軽の両氏も、それぞれ使いを送ってきて、みずから信長に降伏を申し入れた。
日本六十余州、織田の下風《かふう》に立ち、残るはただ上杉家一家のみとなった。