春三月、雪解けが始まると、信長《のぶなが》軍は総勢二十万もの大軍を率いて、上杉《うえすぎ》の本拠地|越後《えちご》を、びっしりと蟻《あり》の這《は》い出る隙間《すきま》もなく包囲した。
これについて上杉家の当主|景勝《かげかつ》は、簡単に降参してたまるものかと、難攻不落《なんこうふらく》と噂《うわさ》される春日山《かすがやま》城を中心に、いくつもの砦《とりで》を建て、国境にはさまざまな仕掛けを施し、大軍の襲来を迎え撃つ態勢をとった。
信長は、今度はみずから降伏勧告書を景勝に送った。
といってもそれは、信長が重臣の関東管領滝川一益《かんとうかんれいたきがわかずます》に命じ、殿下がこう言っているという形で、その意思を上杉景勝当人ではなく、その家老である直江兼続《なおえかねつぐ》に伝えるという形をとったものだった。
これは、直接本人に出すより、一段ていねいなやり方である。
信長は、そのやり方で、まず上杉の反応を見たのである。
信長の手紙というのは、要するに、
「日本国内でようやく戦乱が収まり、天下もほぼ固まったというのに、上杉軍だけが戦争の支度をして、国内に砦をつくったり、国境に厳重な関所を設けたり、戦争の準備をしている。これは、この国に平安あれと願う帝《みかど》の願いを踏みにじり、その帝の意思を体現する信長の意向に逆らい、なおかつ、その息子であり征夷大将軍でもある信忠《のぶただ》の武威に対して、異を唱えるものである。いったい何を考えているのか、性根《しようね》を据《す》えて返答しろ」
と、迫ったのである。
これに対して景勝は、腹心の直江兼続の書状という形で、返答を送ってきた。
信長は、それを一読し、激怒した。
それには、こうあったのである。
「戦争の支度などとは、とんでもない。我々は、道に橋を架《か》け、あるいは道を広げ、領内の交通が円滑にいくようにしているだけである。それを戦争準備とおっしゃられるのは、言いがかりもいいところである。また槍《やり》、弓矢鉄砲を集め、戦《いくさ》の支度をしておると非難されておるが、侍《さむらい》がいざというときに備えて、武備を怠りなく努めるのは常識であり、義務でもある。何を天地に恥じることがあろうか。我々は、上方《かみがた》の腰抜け武士とは違って、茶碗《ちやわん》や掛《か》け軸《じく》を大枚《たいまい》を投じて集めるという趣味はない。武士は、武芸こそ本分。刀や槍を集めて何が悪い。戦争の訓練をして何が悪い」
信長は初め、怒りのあまり書状を破ろうとしたが、あらためて思えば二十万の大軍を前にして、これだけのことを平気で言うのは、たいした度胸である。
信長は、越後の事情にくわしい御伽衆《おとぎしゆう》の僧を呼んで、兼続の評判を聞いた。
「豪気《ごうき》なお方と評判でござります」
と、その僧は言った。
「どこが豪気なのだ?」
信長は聞いた。
「はい、このようなことがござりました」
と、僧が話したのは、兼続について越後の領民のだれもが知っている有名な話であった。
あるとき、兼続の家来が落ち度のあった家来を手討ちにした。
ところが、後から調べてみると、それはその家来の勘違いで、手討ちにされた家来には、なんの落ち度もなかったことが判明した。
そこで、その一族の者三人が、兼続にその非法を訴えてきた。
兼続は、こちらにも落ち度のあったことだからと、金子《きんす》を与えてその罪を詫《わ》びたが、三人の者は、どうしても納得しない。
あげくの果て、死者を生きて返せ、生きて返せと、大声をあげはじめたのである。
そこで、兼続は、
「それほどまでに、申すならば」
と、手紙を書いた。
それは、地獄を支配する閻魔大王《えんまだいおう》への手紙であった。
「当方の落ち度につき、そちらに行ってはならぬ者が行ってしまった。迎えの者を差し向けるにより、ぜひともその者をお返し願いたい、閻魔大王殿。直江兼続」
その手紙を見せ、その手紙を袋に入れて、三人の男のうちの一人の首に掛けると、兼続は、その三人を手討ちにしてしまった。
死んで、閻魔の庁へ行き、死者を迎え取ってこいというのである。
「なるほど、そういう男か。はっはっは」
と、信長は笑った。
(兼続という男は、余《よ》と似たところがある)
信長は、好感を持った。そして、つぎには越後一国の本領安堵を条件に傘下に入ること、というきわめて寛大な条件を、講和条項として申し送った。
それを受け取った景勝は、ふたたび春日山城の奥に入り、かつて義父|謙信《けんしん》が籠《こも》った毘沙門堂《びしやもんどう》に入って、兼続だけを呼んだ。
「いかが思う?」
前置きも説明も必要なかった。すべて、わかっていることだからだ。
景勝は、兼続に結論だけを求めた。
「やむを得ぬ仕儀《しぎ》かと存じます」
兼続は答えた。
「そうか」
景勝は、毘沙門天に拝礼し、言った。
「父上。不肖《ふしよう》景勝、上杉家の武名を汚してしまいました。申し訳ござりません。ただ家名を残すために、非常の決断をいたします。なにとぞ、お許しくださいませ」
景勝は、毘沙門天を前に、先祖の霊に謝った。
それを見ている兼続の目から、ひと筋の涙がこぼれ落ちた。