高柳左近《たかやなぎさこん》は信長《のぶなが》から直属|近衛《このえ》部隊の指揮を命ぜられ、その傘下《さんか》に入っていた。
本能寺《ほんのうじ》の変以来、信長は部下に配下を全部つけてしまうようなことはせず、自分の周辺を守るための近衛軍団を置いていた。
その長は、娘冬姫の婿《むこ》である蒲生氏郷《がもううじさと》である。
そして、その蒲生軍団の配下にある部隊は、それぞれ一千人ほどの規模を持ち、その第一部隊の長が左近であった。言うまでもなく信長は、自分を本能寺の窮地《きゆうち》から救った左近に絶対の信頼を置き、自分の周辺を守るもっとも忠実な家来たちの束《たば》ねを命じていたのである。
今日は信長が沢彦禅師《たくげんぜんじ》とともに新大坂城の工事現場にやってくるというので、左近は先触れとしてたち、工事現場の周辺の警戒に当たっていた。
「夢のようだのう」
突然、声をかけてくる人間がいた。振り返るとかつての同僚、小野田数馬《おのだかずま》がいた。
数馬は明智《あけち》軍団の兵として最後まで戦い、そして一時は浪人の境遇にあったが、左近のとりなしでふたたび召し抱えられることになった。
いまは第一部隊の忠実な副将として、左近を助けている。
「まったくだ。あのとき、もし明智の殿の、いや光秀《みつひで》の陰謀《いんぼう》が成功していたら、いったいどういうことになっていたか」
左近もうなずいた。
「まったくだ。あの企てが成功していたら。そう思うと身の毛がよだつな。いったい我々はどうなっていたか。案外、一国一城の主となっていたかもしれんぞ」
左近がからかうように言うと、数馬は首を振って、
「やはり明智殿では天下は保てぬ。わしはつくづくそう思うようになった。明智の殿がこのようなものを造れるか」
と、数馬は指をさした。
その先には七層八重の安土城をもうひとまわりもふたまわりも上回る巨大な城郭が築かれつつある。そして、その周辺には巨大な石塀が建てられ、その四角の城壁に四つの門がある。唐《から》の都の形式を踏んだものだ。
「まことにみごとなものだ」
左近は改めて感心していた。
これだけの城郭がもう完成に近づきつつある。キリシタンの宣教師がこれを見て、ヨーロッパなら十年かかる工事だと言ったそうだが、それはうなずける話である。その十年かかる工事をいま、信長はわずか一年足らずで成し遂げようとしている。
「おっ、上様が見えたぞ」
数馬が言った。
びろうどのマントをまとい、気に入りの象牙《ぞうげ》の杖《つえ》を持った信長が、石段を登ってきた。横には老齢の僧が一人、ついている。左近もその顔は知っていた。信長の政治顧問とも言える沢彦禅師である。
左近と数馬は、さっそく信長の前に伺候《しこう》して跪《ひざまず》いた。
「上様、高柳左近でござります」
「おお、左近か」
信長は上機嫌だった。
「見知っておろう、沢彦殿じゃ」
「ははっ」
「これが左近殿でござるか」
沢彦禅師も、白いほうきのような長い顎《あご》ひげをしごきながら、機嫌よく応対した。
「そなたが上様を厄難《やくなん》から救われた左近殿か。いや、縁起《えんぎ》のいい方にお会いした。これはまさに吉兆でござるな」
「そのとおりじゃ。さて禅師、いよいよこの城の名をつけなければならぬが。いや、それは単に城の名のみならず、その日《ひ》の本《もと》の新しい都の名ともなろう。何かよい案はござるかのう」
その言葉に答えて、沢彦は大きくうなずいた。
「先ほどからこの地を見て参りました。やはりあれでござるな」
と、沢彦は太陽を指さした。真っ赤な夕陽《ゆうひ》があと少しで大坂湾に没しようとしている。
その眺めは、まさに雄大にして華麗とも言うべきものだった。
「この地に参りまして、まず思ったことは、いかに日輪《にちりん》というものは大きなものかということでござります。この城から見る日輪の様はみごと。そこで初めは洛陽《らくよう》という名を考えました」
「ラクヨウ? どう書くのだ?」
「このように書きまする」
と、禅師は地面に落ちていた木の枝を取って、書いてみせた。
「ただしこれもよい名でござるが、洛陽は落陽、つまり日が落つに通じます。衰運に向かうところがいま一つでござる」
「なるほど。ではどうするのだ?」
「三つに絞りましてござります。陽の一字を生かしたものでござる」
沢彦は、その場で膝《ひざ》を折り、一巻の巻物をうやうやしく頭上に掲げてささげた。信長はうなずいて、それを受け取った。
それを開くと、そこには墨痕《ぼつこん》も鮮やかに三つの都市の名が書かれていた。
常陽
太陽
恒陽
信長は食い入るようにそれを見つめ、やがて満足げにうなずいた。その様子を見て取った沢彦はおもむろに言った。
「いかがでござりましょうか」
「常陽城では語呂《ごろ》が悪い。恒陽は字が難しい。この太陽というのがよさそうだな」
「はい。拙僧もそれがよいと考えます」
そのためにわざわざ真ん中に、沢彦は書いたのだった。沢彦は満足げにうなずいた。
「左近、数馬、皆の者も聞け。今日ただいまよりこの城およびこの町は太陽と名を改める」
「ははあ」
一同は揃《そろ》って平伏した。
ついに天正十一年夏、戦乱に明け暮れた長い時代は終わり、日本は信長の手によって統一された。
その夏、日に夜を継いでの突貫工事で完成された太陽城に新帝が行幸《ぎようこう》し、関白《かんぱく》信長以下、日本国中すべての大名が帝《みかど》を迎えた。
そして、この平和を記念し、年号が新たに太陽元年と改められることになった。
「みごとであった」
帝は、信長の天下統一事業を祝した。
「かたじけのうござります」
信長は、家臣を代表し一礼し、
「これで日の本は統一いたしました。この後、この国がふたたび戦《いくさ》に乱れることはござりません」
信長は断言した。
信長は、そのあと帝を案内して、太陽城の天守閣に登った。
太陽城の天守からは四方の諸国が、はるか遠くまで見渡せる。
南は海である。
南西の方角には、果てしない大海原が広がっている。
(戦は終わった。だが、太陽が昇るのは……)
信長は、ひそかに心中、その決意を新たにしていた。