その兵士を先頭に、男依の軍は粛々と道を東へと進んだ。
沿道には、大勢の民衆が集まり、息を呑んでその首を見つめている。民衆の誰もが、その首は誰の胴についていたのか知っていた。
前代未聞のことである。
憎しみの目をもって、男依の軍団を見る者もいた。
しかし、大半は、むしろ悲しみの目でそれを見た。
男依軍の兵士も、これほどの勝ち戦《いくさ》でありながら、喜びの声は寂《せき》として無かった。
まるで葬送の列のようである。
その列へ、突然斬り込んだ者がいた。
「何者だ!」
警護の兵士は叫んだ。
「佐沼の馬彦《うまひこ》、大逆の徒男依を討つ」
背の高い若い兵士は、長剣を抜き放つと、たった一人で馬上の男依にせまった。
男依は黙って若者を見ていた。
恐怖はない。
たった一人で数千の軍勢の中に斬り込んで、その大将を討てるものではない。
かといって、嘲笑もしない。
むしろ、男依は若者の出現を喜んでいた。
このままでは、あまりにも帝が惨め過ぎる。
「殺すな、手捕りにせよ」
男依は大声で命じた。
若者は手捕りにするには強過ぎた。
一人で数人を斬り倒し、なおも余力を残している。
「将軍、これでは——」
副将の狭衣《さぬい》が言った。
男依は断を下した。
若者を射殺すように命じたのである。
(やむを得ぬ、帝の黄泉路《よみじ》のお供をせよ)
若者は、全身に矢を浴びて動かなくなった。
不破の本営に着いたのは、夜になってからである。
大海人は、仮屋の前の空地に赤々と篝火《かがりび》をたかせ、男依の到着を今や遅しと待っていた。
男依は、部下に盆の上に載せた首を運ばせ、実検に備えた。
大海人はゆっくりと首の前に進むと、じっくりと首を観察した。
「でかしたぞ、男依」
「はっ」
男依は平蜘蛛《ひらぐも》のように大地に身を伏せた。
大海人の背後から、高市《たけち》皇子が進み出て、大友の首をのぞき込んだ。
そして、すぐに目をそらした。
「これで、すべては終わった。きょうは戦勝の祝宴と致そう。男依、皆を労《いたわ》って取らせ」
大海人は命じた。
「ありがたきお言葉でございます」
「下がってよい」
その言葉に、男依は再び額を地にこすりつけ、立ち上がろうとして、ふと気が付いたように、
「この御首級、いかが致しましょうか?」
「そうだな」
と、大海人はその青白い首を見て、
「このあたりの山にでも埋めてやれ。場所はそちに任す」
「かしこまりました」
今度は本当に立ち上がって、男依は部下に首を持たせた。
そして退出しようとするところを、高市が呼び止めた。
「后はいかがなされておる」
十市皇女のことである。
昔、この高市と異母姉の十市皇女との間に、艶めいた話があったのを、男依は耳に挟んでいた。
「お気を落され、ただいま大津宮にてふせっておられます」
「そうか、わしが折を見て見舞いに行こう。お気を強く持たれよ、と伝えてくれぬか」
「お伝え致します」
男依は退出した。
大海人は高市を振り返ると、
「そなた、よからぬことを考えておるのではあるまいな」
高市は虚を衝かれたように、
「よからぬことと申しますと?」
「知れたこと、十市に懸想《けそう》しておるのではあるまいな」
大海人は眉根にしわを寄せていた。
高市は怒った。
「懸想などと滅相もない。父上、何を言われるのです」
その怒った顔を見て、大海人はふと、それが先《さき》の天智の帝に似ていると思った。
「——そなた、いくつになった?」
突然、大海人が別のことを聞いたので、高市はとまどった。
「いくつになったか、と聞いておる?」
「十九でございます」
肩をそびやかすように、高市は答えた。
十市皇女は、大海人が本邦第一の美人とも言われた額田王《ぬかたのおおきみ》に生ませた子である。
その女の生んだ子に、自分の息子が懸想する年になった。
(そうだ、初めて先帝と言い争いをしたのも確か、先帝が十九か二十の頃であったな)
大海人は二十数年前の昔を、鮮やかに思い出していた。