夜明けを期しての総攻撃を考えていた将軍徳陀は、火の手を見て館への突入を命じた。
裏と表と、両方の門が突き破られて、徳陀の兵が館の中に入った。
「待て、ここは通さぬ」
猿手だった。
逃げずに残ったのである。
「大臣家の臣として最後の意地を見せてやる」
猿手は剣を振り回した。
死を覚悟した猿手一人に、千を越す軍勢が圧倒された。
数人を斬り倒して、返り血に染まった猿手は、しかし手傷ひとつすら負っていなかった。
恐れた兵士は猿手を遠巻きにした。
その間にも、炎は館を包んでいく。
馬上で指揮を執っていた徳陀はあせった。
蝦夷は、おそらく死んだのだろう。
しかし、その死体をひきずり出して、市《いち》にさらさなければ、完全に勝ったとはいえないのである。
「わたしに任せろ」
進み出たのは漢殿だった。
槍を手にしている。
「あなた様が」
徳陀は、漢殿が中大兄の異父弟である、ということしか知らない。
漢殿は無言で槍を抱え、小走りに走った。
その勢いに、兵士の輪が割れ、道が開いた。
猿手は新たな強敵の出現に、剣をふりかぶった。
「とおーっ」
気合いを発して、漢殿が槍を突き出したまま、突進した。
兵士たちは見た。漢殿の槍が、まるで吸い込まれるように猿手の胸板を貫くのを。
「ぐわっ」
さしもの猿手が、一太刀も漢殿にむくいることができなかった。
猿手は倒れた。
漢殿が槍を抜くと、兵士から歓声が上がった。
「急げ、蝦夷を引きずり出せ」
徳陀は命じた。
館の中に兵士が乱入し、首をつった蝦夷の死体のみならず、珍宝や書物の類いまで持ち出した。
(勝った)
中大兄はその時初めて、勝利を完全なるものとして感じた。