漢殿は、まずその意外な大きさに驚かされた。
(これは、かなりの身分の人の邸だ)
家の造作、門構えは、それを示していた。
にもかかわらず、近付いてみると、屋根や壁のあちこちが崩れていた。
人もいない。これだけの邸ならば、当然使用人が何人かいるはずだ。それなのに、少女を馬の鞍《くら》に乗せた漢殿が門前にたどりついても、誰も迎えに出て来ない。
漢殿は少女を馬から降ろして、邸内に入った。
「——母が亡くなり、父も病いに倒れてからは、召使が一人また一人と減ってしまいました」
「お父上の名は、何といわれる」
「——お聞き下さいますな」
少女は言った。
「父も、このような姿をお見せしたくはないはず」
「そうか、いや失礼した」
「いいえ、名を聞かれるのは当然ですもの」
少女の父は奥まった寝所にいた。
寝台の上に寝ているのは五十がらみの貴人だった。
病み疲れて、顔は不気味なほど青黒かった。
(これは——)
一目見て、漢殿はいけないと思った。
「いかがでしょうか」
「そうだな」
漢殿は病人の皮膚を押してみた。
弾力がなく、指の痕がいつまでも残る。
(腎《じん》の臓か、それとも肝の臓か、どちらにしても相当悪い。あまり長くは保《も》つまい)
しかし、そのことをいきなり口にするのは、はばかられた。漢殿は安請け合いをしたのを後悔した。
「——悪いのですね」
「いや、ただ、養生は相当長くせぬとな。病人の世話をする方はおられるのか」
「わたくしの乳母《うば》と、そのつれあいが。——いまでは、この二人だけになってしまいました」
少女は悲しげに目を伏せた。
「親族の方は?」
「父は、人付き合いが苦手で、親族の方々とは疎遠になっております」
「そうか」
漢殿は先に立って寝所を出た。少女も後に続いた。
別間に入ると、漢殿は、
「申しわけないが、わたしはこれから用事がある。行かねばならぬのだが、あとで薬を届けさせる」
「ありがとうございました」
少女は頭を下げた。
「もう、薬草を採りに山へ入ったりはせぬことだ」
「はい」
それだけで帰るつもりだったが、漢殿は出がけに、つい振り返って言った。
「——今度来る時は、そなたの名を聞く」
「まあ」
少女は顔を真っ赤にして、うつむいた。
名を聞く、それは無論求婚を意味する。