左大臣阿倍内麻呂の死と、その善後策について相談するためだ。
石川麻呂は遺体と対面した。
「傷は?」
石川麻呂は家の者に問うた。
内麻呂の息子が答えた。
「鋭いもので、胸を一突きにされておりまする」
「胸を」
石川麻呂は、家人に断って胸の傷をあらためた。
「心の臓をただの一突きか」
石川麻呂には、下手人の見当がついた。
傷はおそらく槍でつけたものであろう。槍をこれだけ見事に操れる者など、そうざらにはいない。
(漢殿——)
他に考えようもなかった。
もちろん、漢殿が個人の思い立ちで行なったことではあるまい。
「曲者は確かに、帝の御内意じゃ、騒ぐなと申したのであるな?」
石川麻呂はその点を確かめた。
「はい」
息子はうなずいて口惜し涙を流し、
「一体どういうことでございましょう。曲者の申したことは、本当なのでございましょうか」
「これから、わしは、急ぎ参内《さんだい》する。戻ってくるまで、このまま何もせず、待っていてくれまいか」
「——」
「よいな」
石川麻呂は急いで邸に戻ると、正装をした。
冠を手に取った時、ふと気が付いた。
(まさか、このためではあるまいな)
だとしたら、あまりにむご過きる。たかだか、冠を改める改めないのことで、いちいち殺されていては、命がいくつあっても足りない。
(とにかく、帝の真意をただすことだ)
石川麻呂は宮中に入った。
しかし、帝に会うことは出来なかった。まるで石川麻呂を待っていたかのように、宮門のところで中大兄皇子が現われたのである。
「これは、皇太子様」
石川麻呂は頭を下げた。
「右大臣殿、こんなに朝早う、どこへ行かれる?」
中大兄はさりげない口調で問うた。
「はっ、実は大事が出来《しゆつたい》致し、そのことをお知らせせねばと——」
「左大臣頓死のことか」
中大兄はまるで天気のことを語るかのように、
「ならば、とうの昔に御存じじゃ。左大臣は昨夜急な病いにて、頓死されたとか」
「——」
「まことにもって、悲しむべきことじゃ。これから朝廷《おかみ》のために、一層働いてもらわねばと思っていたに、病いのために死ぬとは、残念じゃのう」
(やはり——)
石川麻呂は確信した。
内麻呂はやはり帝の内意によって殺されたのだ。
(あるいは、皇太子の独断か——?)
いずれにせよ、帝に訴えたところで、無駄というものだった。騒ぎ立ててはためにならぬと、中大兄は言っているのだ。
「——もはや御存じでしたか、ではあらためてお知らせするほどのことは、ございませぬな」
「左様、まもなく左大臣家には勅使が派遣され、お言葉を下されることになろう。右大臣も左大臣家に行かれて、そのことを知らせたら、いかがかな」
「そう致しましょう」
石川麻呂は、心中の煮えくりかえる思いを押し殺して、頭を下げた。
「ああ、待て、右大臣」
その場を去ろうとする石川麻呂を、中大兄は呼びとめた。
「何か?」
「左大臣の不幸に、気が動転されたのであるな」
「は?」
「冠が違っておる。今後の参内には間違わぬようにされよ」
中大兄は低い声で言った。
「——かしこまりました」
石川麻呂はそう言わざるを得なかった。
内麻呂の葬儀をすべて終えて、石川麻呂はいったん難波の邸に戻り、しばし休息すると飛鳥へ出発した。
ここには、氏寺とするために建立した山田寺がある。
山田寺は、まだ造営中であった。
長男の興志《こごし》が迎え出た。
「父上、どうなされました?」
興志は、父の突然の来訪に驚いていた。
「しばらく金堂にこもる。誰も入れるな」
石川麻呂は理由も言わず仏殿に入った。
(今度の事件、皇太子の差し金に違いない)
仏像の温顔を見上げながら、石川麻呂はそれとは逆のことを思った。
(何と、むごい)
むご過ぎるではないか、たかが冠のことである。
その冠を改めぬために、内麻呂は殺されたのである。
このような過酷な体制に、今後も協力していくべきか。
石川麻呂が仏前で考えたいことは、それであった。
いっそのこと退隠してしまう手もあった。
中大兄には娘が嫁いでいる。
先に遠智娘《おちのいらつめ》が、そして最近は姪娘《めいのいらつめ》が、それぞれ女の子を産んでいる。
だから、公然と反旗をひるがえすつもりなどない。
しかし、左大臣があのように殺されたことについては、何らかの抗議の意志を示しておきたかった。
そうでもしなければ、殺された内麻呂が浮かばれない。
せっかく築き上げた地位を棒に振るのか、という思いはあった。
改新の一挙に、生命の危険を犯しつつ参加したからこそ、現在の地位がある。
しかも、左大臣の席が空いた以上、冠さえ新しいものに改めれば、その席に座ることができるのはまちがいない。
左大臣は、今の改新体制では人臣最高の職である。
男としては一度は就いてみたい。
それは氏族全体の繁栄にもつながる。
しかし、やめるべきだ。
石川麻呂はそう思った。