白い雉《きじ》が穴戸《あなと》の国で獲れたのである。
瑞鳥《ずいちよう》がこの世に出現することは、帝徳の証のはずだった。
しかし、帝は鬱々《うつうつ》として楽しまなかった。
何もかもうまくいかないような気がしていた。
政治も外交も、家庭内のことすら——。
特に頭が痛いのは、后との仲がうまくいっていないことだった。
あの若い間人《はしひと》の后は、心のどこかで自分を受け入れていないような気がする。
帝は彼女が好きなだけに、心はさらに痛むのである。
そして、外交の面でも、また不愉快なことが起こった。
新羅《しらぎ》である。
新たに使いを送ってきた新羅の使者の姿を見て、帝は腰を抜かさんばかりに驚いた。
これまでの、なじみ深い寛衣に比べて、使者たちが身につけていたのは、体にぴったりとした筒袖の奇妙な服である。
「使者に問う、その服装はいかなるわけか」
帝ばかりでなく中大兄も、群臣も奇妙に感じた。
あまりにも突然の変化である。
「これは大唐《だいとう》の服装にござります」
使者は平然として答えた。
「なに、唐」
帝は中大兄と顔を見合わせた。
唐が中原《ちゆうげん》を制してから三十年近くたっている。
その唐が統一の勢いを三韓にまで伸ばしていることは、情況としては知っていた。
三韓の中で最も北にあり、唐と国境を接する高句麗《こうくり》は、既に幾度か唐と戦っている。
新羅・百済《くだら》も、これは他人事ではなかった。
高句麗が倒されれば、次は自分の番である。
唐にどう対処するか、早く決めておかねばならぬ。
(屈伏したのだ)
中大兄は怒っていた。
三韓には三韓の、新羅には新羅の、先祖代々のゆかしい習慣がある。風俗がある。それを捨てて、大陸の風に改めるとは、何たることであろうか。
その予兆はないではなかった。
新羅は前々から、いちはやく、姓名を唐風に改めるということをやっていた。いわば三韓の中で最も唐寄りの外交姿勢を見せている国なのである。
「追い返しましょう」
中大兄は進言した。
さすがに帝も目を丸くした。
「よいのか?」
それでは断交になる。
唐と深い誼《よし》みを通じている新羅に、断固たる姿勢を示すことは、唐の不興を買うことにもなりかねない。
「よいのです。われらはさらに百済・高句麗と結束を固めるべきです。さもないと——」
中大兄は声をひそめて、
「唐は海を渡ってくるかもしれません」
と、言った。
「わかった」
帝は新羅の使者を追い返した。
鎌子《かまこ》は苦い表情でこれを見ていた。
新羅のことは確かに不愉快ではある。
民族の誇りを捨てて、服装も習慣も「敵」の国の風に改める。それどころか、名前までも最近は唐風だ。金《きん》とか朴《ぼく》とかいう漢字一字名である。
昔はこんなことはなかった。
三韓人の伝統的な姓は、「なかとみ」や「いしかわ」のように、この日本の国の伝統的な姓に極く近いものであった。
(それはそうだ、もとは同じなのだから)
鎌子は改めて思った。
しかし、その伝統を捨て、新羅人は急速に唐風化している。
不愉快には違いない。
しかし、追い返すというのは、どうだろうか。
外交のやり方としては、むしろまずいのではないか。
確かに新羅はいつ敵に回るかわからない。
まさかとは思うが、韓人の誇りを捨てて唐の手先となり、韓半島の侵略に乗り出す可能性もないとはいえない。
(さればこそ、あまり事を荒立てるのはよくない)
新羅は、そこまでは考えていないかもしれない。しかし、だからこそ、新羅を怒らせて、そういう考えを抱かせるように仕向けるべきではないのだ。
殴り合うのは最後でいい。それまでは微笑をもって事を荒立てぬのが外交というものではないのか。
新羅の使者は、さすがに怒りの色を浮かべたが、すぐにそれを押し殺すようにして、丁重に礼をして去った。
それを見て、鎌子はさらに自分の考えが正しいと確信した。
(皇太子《ひつぎのみこ》様に、御意見申し上げるべきか)
鎌子はそれを考えた。
しかし、結局はやめた。
この頃の中大兄は、何か近寄り難いのである。