(后め、よりによって皇太子と密通するとは——)
この手で、ひねり殺してくれる。
そのことすら考えた。
わずかな舎人《とねり》を連れて、帝は皇后のもとを急襲した。
「出て参れ」
帝は衣服の乱れも気にせず叫んだ。
女官たちは震え上がった。
「どうか、お気を鎮められますように」
「うるさい」
帝は、なだめに来た女官を突きとばした。
悲鳴が上がった。
「お待ち下さいまし」
間人が出てきた。
青白い顔に、固い決意の色が見える。
「おお、出て来たか」
帝は獲物を見つけた猫のような目をした。
「ようこそ、お越し下さいました」
間人は頭を下げた。
「何のために来たか、わかっておるか」
帝は間人をにらみつけた。
「——はい」
「申し開くことがあれば聞こう」
「何もございません」
「そうか」
帝は、怒りと笑いが入り混じったような表情で、一歩一歩、間人に近付いた。
途中、舎人から剣を受け取り、鞘を払った。
再び悲鳴が上がった。
「覚悟せよ」
そのまま野獣のような雄叫《おたけ》びを上げて、帝は剣を大上段にふりかぶった。
そして、その刃が皇后の脳天に振りおろされようとした、まさにその時——。
飛来した石礫《いしつぶて》が帝の右手に命中した。
「ぐわっ」
帝は剣を取り落とした。
「何者だ」
右手を左手で押さえ、帝は叫んだ。
答えはなかった。
代りに、布を巻いて面体を隠した男が、帝と皇后の間に割って入り、皇后の手を掴《つか》んだ。
「さあ、早く」
男は右手に持った長い槍で、あたりの舎人を威嚇しつつ、外へ出た。
馬がつないである。
「さあ、参りましょう」
「どこへ?」
「とりあえずは、わが館にでも」
そう言うと、男は間人を強引に馬に乗せ、自らもまたがった。
「——あなたは、ひょっとしたら、わが兄君では」
間人は言った。
中大兄と間人は、父も母も同じ兄妹である。
しかし、覆面の男——漢殿は違う。
父は新羅の王族なのである。
「——御存じでしたか」
漢殿は言った。
「一度、お会いしたいと思っていました」
「いや、私のような者に、お会いになっても、何の得るところもありません」
「肉親には、得るところがあるから、会うのではありません」
間人は笑顔で言った。
「それもそうですな」
漢殿も笑った。
そして、初めて親しく言葉を交したこの妹に、好意を持った。