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日本史の叛逆者85

时间: 2019-05-24    进入日语论坛
核心提示:(いっそのこと、帝を弑《しい》するか) 中大兄は帰途、それを考えた。 殺すこと自体は、そんなに難しくない。 なにしろ、こ
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 (いっそのこと、帝を弑《しい》するか)
 中大兄は帰途、それを考えた。
 殺すこと自体は、そんなに難しくない。
 なにしろ、こちらには漢殿という切り札がある。
 臣下の大半を失い、手足をもがれた形の帝を倒すのは、わけないだろう。
 問題はその影響だ。
 それをすれば、たとえ実行者が誰であっても、中大兄の差し金だと誰もが思うだろう。そう思われることは、決してこれからのためにならない。
 実行すべきか、それとも待つべきか。
 だが、待つといっても、何を待つのか。
 帝の自然死か。
 しかし、それなら、この変則状態は当分続くということになる。
 それは絶対に認められないことだ。
(やはり、その手しかないか——)
 ふと、間人の顔が浮かんだ。
 仮にも、一度は夫として仕えた帝が殺されたら、彼女は何と思うだろう。
(やはり手を下した者を憎むか)
 そこまで考えて、中大兄はむしろ積極的な気分になった。
 漢殿にやらせればいい。
 間人は漢殿を憎むようになるだろう。
 中大兄にとって、それはもっけの幸いである。
「よし」
 中大兄は思わず声を出して自分を励ますように、漢殿の館に向かった。
「それはなりませぬ」
 話を聞いた漢殿は、顔を蒼くして反対した。
「なぜだ。そなたほどの男が尻込みするか」
 中大兄は挑発するように言った。
 かつての館である。
 飛鳥の郊外の道筋から少し離れたところにあり、難波の館と違って山々が連なるのが見える。
 その館の中で、父の異なる兄弟は向い合わせに座っていた。
 人払いがされ、部屋の中には他に誰もいない。
「いえ、恐いのではありません。確かに仰せの通り、今の難波は丸裸も同然。その気になれば、たやすくお命を縮め参らすことができましょう」
「ならば、なぜできぬ」
「兄君、仮にも相手は帝、これは弑逆の大罪となりまする」
「わかっておる」
 中大兄はじれったそうにうなずいた。
「ならば、おとどまり下さいませ。弑逆の大罪を画策した者が、帝位に即《つ》くなどできぬことでございましょう」
 漢殿は強く言った。
 中大兄はにらみ返して、
「そなたは、このわしの命令が聞けぬというか」
「他のこととは違いまする。これは、あなた様の御名にも大きな傷となりまする。しかも、臣下の身で帝を討つなど本邦始まって以来のこと」
「いや、例はある」
 うめくように中大兄は言った。それは本当だ。
 かつて蘇我馬子《そがのうまこ》が、崇峻《すしゆん》帝を殺害させたことがあるではないか。
「その蘇我の一族はどうなりました?」
 漢殿は今度は静かに言った。
「——」
 中大兄は黙った。
 言うまでもない。彼等は滅亡した。
 いや、中大兄自身が滅ぼしたのではなかったのか。
「おわかりでございましょう」
「いや」
 中大兄は首を振った。
「あれは臣下のやったこと。それゆえ滅びたのだ。だが、われは皇族。立場が違う」
「それゆえ、申し上げているのでございます」
「なんだと」
「帝と皇太子とは、親と子。子が親を殺して国家というものが立ちゆくものか、ここはよくお考え下さい」
「うるさい」
 中大兄は立ち上がった。漢殿はまぶしげにそちらを見た。
 中大兄は漢殿を指さして、
「そなたに命ずる。今より十日のうちに、帝の命を絶《た》て。これは皇太子としての命令だ」
「——」
「わかったな」
「——わかりました」
 漢殿はそう答えざるを得なかった。
 中大兄は笑みを浮かべた。
「頼むぞ、吉報を待っておる」
 中大兄はそう言い捨てて去った。
 ほとんど入れ違いに、額田が入ってきた。
「あなた」
 顔が真っ青だった。
「聞いておったのか」
 漢殿は優しく言った。咎めるような口調ではなかった。
「はい」
「そうか」
「おやめ下さい」
 額田は叫んだ。
「——」
「こればかりは聞いてはなりませぬ。いかに皇太子様の御命令とはいえ」
「だが、他にどうしようもあるまい」
 漢殿は言った。
 体中に、重い荷を背負ったような、不快感があった。
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