(——!?)
一旦は死を覚悟した大海人だが、その頭上に刺客の刃はついに振り下ろされなかった。
(何が起こったのだ!?)
その疑問は、すぐに解けた。
刺客は前のめりにゆっくりと倒れてきた。
大海人は体を動かした。
大地に倒れ伏した刺客の背中には、太い矢が深々と突き刺さっていた。
他の刺客たちが驚きに我を忘れたところへ、矢が次々に飛来した。
たちまち二人が倒れ、三人が傷付いた。
「逃げろ!」
男たちは口々に叫んで、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
大海人は剣を拾って立ち上がった。そこへ、武装し鎧を身につけた数騎の男たちが近付いてきた。
騎乗の男たちは、大海人の近くまで来ると先頭の男の指示で一斉に馬を降り、大地に跪《ひざまず》いた。
「何者だ」
指揮を取る男はまだ若かった。
頭を剃り立てている。
眉は薄く目は細い。が、全体に精気がみなぎっている。
「わたくしは道行《どうぎよう》と申します」
男は言った。
「道行? 法師か?」
大海人はもう落ち着きを取り戻していた。
「仰せの通りにございます」
道行は答えた。
「この者たちは?」
大海人は、道行の背後に控えている武装した男たちのことを問うた。
数えてみると七人いる。
「わたくしの配下にございます」
大海人は、ふっと笑って、
「近頃の法師には、剣や弓を持った配下がいるのか」
「——」
道行は顔を伏せた。
大海人はあらためて観察した。
道行たちの身につけている武具は、この大和のものとは微妙に違っていた。
そして弓の形に、大海人はかすかな記憶があった。
「そなたは新羅の者だな」
大海人は決めつけた。
「はい」
顔を上げて道行は認めた。
「帰化人か」
「いえ」
道行は大きく首を振った。
「——?」
「この国に住まいは致しておりますが、心は母の国にございます。したがって帰化とは申せますまい」
道行は、ほとんど抑揚のない声でそう言った。
「なるほど、心は常に新羅にあり、か」
大海人は次々に疑問がわいてきた。
「先程、わしを襲ったのは何者だ?」
「おそらくは百済の手の者、百済の者に雇われた者でございましょう」
道行は淀みなく答えた。
「百済? なぜ百済がわしを狙う?」
大海人は首を傾《かし》げた。
道行は大海人の目を正視して、
「おわかりのはずでございます」
「——」
大海人は言葉に詰った。ややあって、
「わしが新羅の血を引く者だからか?」
大海人の言葉に、道行は黙ってうなずいた。
「だが、それにしても、わしを狙うとは——」
やり過ぎではないのか、と大海人は言いたかった。
仮にも皇子の身である大海人を、異国人が討てば大問題になる。友好が損なわれるどころではない、下手をすれば戦争だ。
「それゆえ、この国の者を使ったのでしょう。物盗りの仕業に見せかければ、何事もうまく行くと踏んだのでございましょう」
「そうまでして、何故にわしを亡き者にしたい?」
「わが新羅と百済は長年の宿敵。今も海の向うでは戦《いくさ》が続けられております」
「だが、それは海の向うのことであろう」
「この国がどちらに味方するかで、勝敗は決まります」
道行は言った。
「それで、わしを狙ったというのか——」
大海人は嘆息した。
迷惑である。
大海人にとっては、新羅が勝とうが百済が勝とうが、どうでもいいことである。
「兄」の中大兄は百済を好み新羅を嫌っているが、大海人は正直どちらでもいい。
確かに父は新羅人かもしれない。
しかし、それだけのことで、大海人には新羅に対して深い思い入れはない。
だが、道行は次に思いがけぬことを言った。
「わが国王も、皇子様には格別の思し召しがございます」
「なにをたわけたことを」
大海人は、せせら笑った。
「——新羅国王ともあろう御方が、わしのことなど知るはずはないではないか」
そう思うのも当然である。
海の向うに住んでいる王が、皇族でもなかった自分のことなど知るはずがないだろう。
「いえ、仰せられております。——いつの日か桃樹の下で酒を酌み交したいものだ、と」
「なに」
大海人は愕然とした。
その言葉には、確かに覚えがあったのである。