新羅の唐を巻き込んでの征戦は、やはり激しい反発を招いた。
百済の遺民の抵抗が、各地で起こり、その勢いは正規軍にまさるとも劣らないものがあった。
しかも、そうした抵抗の動きは、一つのまとまりを見せた。
まとまりとは、一人の将軍である。
その男の名は鬼室福信《きしつふくしん》といった。
福信は、義勇軍を結成し、首都扶余を奪回する勢いを示した。
しかし、福信の軍には、一つの大きなものが欠けていた。
錦の御旗である。
それを、福信は日本に求めた。
唐との戦いで得た捕虜百余人を献上し、福信は日本の朝廷に、豊璋王子の返還と軍事援助を求めた。
中大兄は喜んだ。
豊璋が頑《かたくな》に拒んでいたものが崩れたのである。兵を束ねる者がいない、それが豊璋の拒否の理由であった。
中大兄は早速、豊璋の館におもむき、再び熱誠を込めて口説いた。
「豊どの、頼む。国へ帰って百済王となってくれ、この通りだ」
中大兄は頭を下げた。
「——左様に仰せられましても」
豊璋は当惑していた。
福信という男の出現は頼もしいが、豊璋自身会ったこともないのである。
その男に、身を託さねばならないのだ。
「福信の率いる軍勢は、泗《し》|※[#「さんずい+比」、unicode6c98]《ひ》城を奪回して、なかなかの勢いらしいぞ」
中大兄は、わがことのように喜色を浮かべて言った。
泗※[#「さんずい+比」、unicode6c98]城とは扶余にある王城である。
「はあ」
豊璋は生返事をした。
「どうした、豊どの、王になれるのだぞ。生涯にこのような幸運に恵まれる者が、いったいどれだけいようか」
確かにそうだな、と豊璋は思った。
王家に生まれても、次男以下はつまらない。皇太子が決まれば邪魔者にされるだけだ。
場合によっては、人質として遠い異国に送られることもある。
(ちょうど自分のように)
しかし、その豊璋にも運が回ってきたといってもいいのかもしれない。
こんなことでもなければ、自分に王位が巡ってくることなど、有り得ないのだ。
その好機をしっかり掴むことも、人生においては大切なことではないのだろうか。
「——日本は、助けてくれるのでしょうね」
つい、そんな言葉が口をついて出た。
中大兄は満面に笑みを浮かべて、
「もちろんだ。われらも数万の大軍を率いて海を渡る」
「えっ、まことですか」
「まことのことだ。母上が、いや帝《みかど》自らが九州までおもむかれる」
「しかし、帝は御高齢ではありませぬか」
「まもなく七十だからな」
それだけの老齢の身をもって都を離れようというのは、息子の中大兄の懇請もあるが、やはり根本的には百済が滅ぼされたことに対する危機感がある。
明日はわが身、という危機感である。
唐の野望を打ち砕くためには、この際、断固として戦う意志を示す必要がある、と母の帝も同意したのだ。
「それだけ、われらも本気になって百済を応援しておるのだ。豊どの、この志、買ってはくれぬか」
「——」
豊璋は長い間、黙っていた。
大勢力である日本の援軍が得られるということは、有り難いことである。
「豊どの、帝も豊どのが百済王になることを、このうえもなく喜んでおられる」
「帝が——」
実のところ中大兄が豊璋を百済王として即位させるという名案に熱中し、それを熱心に女帝に勧めたのである。
「やむを得ませぬな」
豊璋はついに言った。
「おおう、承知してくれるか」
中大兄は、豊璋の手を取った。
「めでたい、めでたいことだ」
中大兄は、いつまでも豊璋の手をにぎり、その決断を讃えた。