これも、一つの大きな決断であった。
これは唐・新羅との全面戦争になる。
女帝は初め、消極的であった。
高齢でもあるし、動きたくない。
しかし、息子の中大兄はそういう母をなだめすかし、ようやく承知させたのだ。
「わかりました。しかし条件があります」
「何でしょう?」
「豊璋どのの位は、わが国が与えたという形をとらせて下さい」
さすがに、このしたたかさには、中大兄も脱帽した。
日本国が百済国王を任命するということは、勝利の暁には百済は日本の属国になるということだ。
(さすが母上、だてに年は取っておられぬ)
中大兄ですら思いもしなかった名案であった。
もちろん、こんな取り引きは、百済が百済のままであった一年前には、一切、成立する見込みはなかった。
しかし、今ならある。
百済軍も日本軍の力を強く求めているし、その代表者は豊璋になるのだ。
否も応もない。
「しかし、勝てるのでしょうね」
女帝は不安を口にした。玉座のまわりには誰もいない。
その誰もいないところだけで、口に出来る疑問だった。
中大兄は顔色も変えずに、
「勝てます」
と断言した。
「どうしてわかります」
女帝は納得しなかった。
「福信らには今、天の時、地の利、人の和が味方しております。国を支えるのも軍を支えるのも、所詮は人、人を大事にしてこそ国家は立ちゆくのであります」
中大兄は、淀みなく答えた。
「それは、その通りかもしれないが」
女帝はなおも不安の色を隠さなかった。
「福信らに加えて、われら日本の軍勢も豊璋どのを助けます」
「それで勝てましょうか」
「勝てますとも」
「——」
「母上、もっと自信を持って下さい。唐だの新羅だのといっても、所詮は人の集まりではありませんか」
「——」
「力を結束すれば必ず勝てます。それに今のわれわれは、天の時にも恵まれています」
「地の利もある」
ぽつりと女帝も言った。
これは、乗り気になってきた証拠だ。
「そうです、そうです」
中大兄は手を叩いた。
「もし勝てば、任那《みまな》を取り戻せるであろうか」
「取り戻せますとも」
任那——それは内宮家《うちつみやけ》ともいい、日本が半島に持っていた唯一の足がかりであった。しかし、これはいつの間にか、新羅に奪われてしまった。
それを奪った憎《に》っくき敵が新羅なのだ。
(いまに見ていろ。必ず吠え面かかしてくれる)
中大兄は強大な敵に対して、ますます意気軒昂であった。