陸側である。
本来なら、敵軍の日本軍に対する攻撃を邪魔するために、軍を動かし背後を襲うべきだった。
そうすれば、敵も日本軍だけに集中して攻撃することができず、力をそがれることになるはずだ。
しかし、豊璋は動かなかった。
動けなかったのではない。いつでも軍は動ける態勢にあった。ただ、戦機を判断して、命令を下す者がいなかったのである。
もし、いるとしたら、それは福信であり、その部下だったろう。
ところが、豊璋が無実の罪で福信を殺してしまったため、部下たちも豊璋を見限り、あるいは逃げ、あるいは投降した。
その結果、百済軍には、まともな指揮官が一人もいなくなってしまったのである。
豊璋の機嫌をとるだけしか考えていない宦官には、軍の指揮など出来ない。
百済軍は戦わずして敗れた。
目の前で日本からの援軍が、なす術《すべ》もなく倒されるのを見て、脱走者が相次いだ。残った者の士気も地に落ちた。
こうなる前に突撃すべきだったのだ。だが、もうすべては遅い。
(戦は負けだ)
そう思ったとたん、豊璋の膝はがくがくと震えていた。
(殺されるかもしれん)
あの唐に逆らったのである。父や兄は命を助けられたが、自分はどうなるか、わからない。一度、国としては降伏したあと、再び兵を挙げたのだ。
これは唐に対する反乱と認定されるかもしれない。
叛逆者に対する刑は死罪、それも極刑と決っている。
豊璋の脳裏に、自分の首が台の上にさらしものになっている光景が浮かんだ。
ぞっとして豊璋は腰を浮かした。
「陛下、落ちのびなされませ」
すかさず宦官の一人が言った。
初めから、それを言う機会を狙っていたのだ。
「どこへじゃ」
「高句麗でございます」
宦官は言った。
日本へはもう行けない。
日本の船団に合流するためには、目の前の敵を突破しなければならない。それは到底不可能なことだ。
後ろに逃げるしかない。
とすれば、残るは高句麗しかないのである。
「よかろう」
豊璋は立ち上がった。
豊璋の頭の中には、自分を盟主にして戦っている民のことも、故国百済のこともなかった。
あるのは、我が身の安泰ばかりである。
豊璋は、家臣たちに身を任せた。意志さえ決めれば、あとは家臣たちがはからってくれるのである。
「陛下、こちらへ」
豊璋は導かれるまま乗物に乗った。
ふと、中大兄の顔が浮かんだ。
(やはり蜂を飼っていればよかった。恨みますぞ)
豊璋は高句麗へ去った。