目は大きく鼻も唇も厚い。そして、大官には珍しく日焼けしているのが、人目を引いた。
「ようやく陛下にお目にかかることができ、光栄至極に存じます」
中大兄は、その丁重な言葉に込められた皮肉に気付いていた。
「ようやく」というところに、なかなか入京を許されなかった、という意味を込めているのだ。
中大兄も、そのくらいの唐語なら理解できる。
「——わしはまだ陛下と呼ばれる身ではなくてな」
それは通辞を通して言った。
「これは失礼致しました」
劉は頭を下げた。
「殿下とお呼び致すべきでしたな」
「とにかく、よくぞ参られた」
中大兄は一行に都を念入りに見せた。
劉はもちろん一人ではない。武官らしい男の他に、お付きの者が何人もいる。
その者たちには、まるで品定めをするように、都の施設を見ている者がいた。
(攻めるための準備に違いない)
中大兄に近侍している大海人は思った。
不可解だった。唐の侵攻をあれほど警戒している中大兄が、どうして首都のすべてを見せるのか。
軍団を動員して示威行動をするならわかるが、都を詳細に見せるのは合点がいかない。
大海人がそう思うのは当然である。
中大兄は中大兄で、思惑があった。
(いずれ、この都は捨てる)
そのことだった。
難波京は海に面している。
貿易や交通には便利だが、防衛上は極めて不利だ。敵の軍船もするすると入って来られるからである。
だから、いくら見せてもいい。
詳細に記憶して帰ったところで、そんなものは役に立たなくなるのだ。
「明日は宇治という景勝の地に御案内致そう」
一日中、劉ら一行を引っ張り回した後、酒宴の席でそう言った。
「御配慮かたじけなく存じます」
劉は答えた。
その陶器のような、なめらかで血色のいい顔からは、何を考えているのか読み取ることは難しい。
これは相当の食わせ者だぞ、と大海人は思った。
翌日、午後から、唐使のために設けられた特別席の前で、大規模な閲兵が行なわれた。
この日のために集められた三万人の兵が、入れかわり立ちかわり現われ、行進し演武し、劉に力を見せつけた。
中大兄も大海人も、それぞれ思いは異なるものの、劉がどのように反応するか、気を配っていた。
大海人は、劉の隣にいる武官も気になっていた。
実際に闘うとなれば、武官がその先頭に立ち、劉のような文官はまず出てこない。
劉付きの武官は、背の高い男で、軍団の行進を身じろぎもせずに見ていた。
(あの男も相当できる)
大海人は武人としての直感で、それを見抜いた。
軍団の行進は、うんざりするほど続けられた。
これでもか、これでもか、と中大兄は軍団を動かした。まるで、そうすればするほど唐の侵攻が防げると思い込んでいるかのようだ。
だが、それも夕刻には終わった。
中大兄は軍団を正対する形で並べ、その前に少し余裕を取った。少し空いたところを作ったのである。
「これより、わが弟の演武をごらんに入れる」
中大兄は言った。
「わが弟」とわざわざ言ったのは親愛の情ではない。王族にも「これぐらいの使い手はいるんだぞ」と示すためだ。
大海人は槍を取った。
それはまさしく蝶のように軽やかな、そして龍のように力強い舞いだった。
軍団の大行進にも眉一つ動かさなかった劉も、目を見はっていた。
大海人の技量も境地も、昔よりは一段と進んでいる。
父との対決が、その技量をさらに深めたのである。
この間は、槍の穂先で蜂を刺し貫いた。
だが、大海人は、きょうはそれをするつもりはなかった。
蜂がいないのではない。
武術というものは、こういうものだ、と少しずつわかってきたのだ。
中大兄は、大海人がそれをせぬことが不満であったが、劉以下の唐人も、日本側の人間も感嘆の声を上げた。
大海人は一礼して席に戻った。
呼吸はいささかも乱れていない。
「お見事でした」
通辞を通して劉は言った。
「おそれ入ります」
「見事な業ですな。あれはこの国伝来のものですか」
「さあ、もとは海の向うから来たものかもしれませぬが——」
大海人は正直に答えた。
「なるほど、なるほど」
劉は満足げにうなずいて、今度は中大兄の方を向いて一礼した。
「いかがでございましょう。この見事な演武の返礼に、わたくしどもの武官が同じく演武をお見せいたしたいと存じますが——」
「ほう、それは面白い」
中大兄はただちに受けた。
「では、この朱堅《しゆけん》が、剣舞をお見せする」
朱と呼ばれたのは、先程から大海人が注目していた男だった。
朱は剣を取り寄せると、大海人に向かって会釈して、空地に出た。
剣を抜き、呼吸を整えたあと、朱は剣を背に隠して一礼した。
「きえーっ」
鋭い気合いを発したかと思うと、朱は剣を自在に操り、前後左右に動いた。
大海人は見た。
中大兄も見た。
朱を取り囲む数十人の見えない敵を。
その敵に対して、朱はまったくひるむことはなく、立ち回っていた。
(斬った)
大海人は斬られた相手の数をかぞえていた。
朱の剣にはいささかの隙もなかった。
とうとう最後まで、朱は乱れを見せず、敵をすべて倒した。
「いや、見事、見事」
中大兄は賞讃した。
しかし、その声にはどこか口惜しげな響きがあった。
劉は満足していた。
朱の剣舞は、大海人の槍の舞いに対して、唐帝国の意気地を示した形になった。
「お褒めに預かり光栄です」
劉が朱に代って頭を下げた。
「いや、大した武人をお抱えになっておられるな」
中大兄は言った。
「ありがとうございます」
「どうであろう」
中大兄は身を乗り出すようにして、劉に話しかける前に、ちらりと大海人を見た。
大海人は嫌な予感がした。
それは正しかった。
「双方、見事な業を持つ者がおる。この二人に試合をさせるのも一興ではないか」
中大兄はそう言ったのである。