大海人は槍を帝に向けた。
「お待ち下さい!」
両者の間に突然、盃が投げられた。陶製の盃は、宮殿の床に叩きつけられ微塵に砕け散った。
その様を見て、大海人は冷静さを取り戻した。
槍先に込められていた殺気が消えた。
すかさず鎌足は、両者の間に割って入った。
「酒の上のこととはいえ、ちと荒っぽい所業でござりますな」
鎌足はおだやかに言った。
大海人は槍をおさめた。
帝は腰を抜かしたまま、何か叫ぼうとした。
「こ、こやつは——」
「はい、陛下も酔っておいでのようで」
鎌足はみなまで言わせず、舎人を呼んだ。
「これ、帝はお疲れのようじゃ、奥へお連れ申せ」
かねてから舎人たちに、鎌足は鼻薬を嗅がせていた。こういう時のためである。
舎人たちは進み出て、あらがう帝をかつぎ上げると、寝所へ運んで行った。
「皇子様も、お帰りなされませ」
「だが——」
よいのか、という視線を大海人が向けると、鎌足はうなずいて、
「はい、あとのことはお任せ下さい」
鎌足は頭を下げた。
結局、このことは鎌足の奔走で不問に付されることになった。
自分に刃を向けたと怒る帝に、初めに手を出したのはそちらだと厳しく諫言したのである。
鎌足の言葉に、帝はしぶしぶうなずいた。
だが、帝も大海人も、心に大きなしこりを残すことになった。