これは、本邦始まって以来のことであった。
戦争をするには、自分の国がどれくらいの人口を持ち、どれくらいの人間が兵隊として使えるか、どれくらいの農業生産力があるかということを確認することが大切だ。
しかし、これまでそれをやった者はいなかった。この帝にいたって、初めてそれが全国的に、しかも完全な形で行なわれたのである。
しかし、そのことは民衆の不満を招いた。
民衆にとってみれば、すべてを把握されるということは、それだけで不気味なことである。これまで隠し田として持っていた財産や、隠し子のようなものまで、すべて国家に調べ上げられ、そのことが、よけい苛斂誅求《かれんちゆうきゆう》を招くという結果になった。
しかし、帝は意に解さなかった。なぜなら、帝はそれがこの国のためであり、ひいては民衆のためであると信じていたからである。
(唐に国が滅ぼされては、元も子もあるまい。これは必要なことなのだ。文句を言うやつは許さん)
と思っていたのである。
このような情勢を、大海人は吉野の山で見ていた。
春、吉野は花の盛りであった。桜である。
桜は大陸の文化全盛のこの国にあっては、あまり持て囃される花ではなかった。
しかし、大海人は好きだった。ぱっと咲いて、ぱっと散る。花の盛りは短く、その見事な盛りを過ぎれば、あっと言う間の没落が待っている。それが何となく人の運命を象徴しているような気がして、むしろそこが好きなのである。
大海人はその日も、咲き競う桜のよく見える丘の上で、はるか都のほうを見ていた。
「皇子《みこ》様」
「虫麻呂か」
大海人は振り返った。果たしてそこに虫麻呂がいた。
膝をついたまま虫麻呂は、
「都に行ってまいりました」
「何か変わったことがあったか?」
「いえ、特に。相変らずでございます」
「相変らず?」
「はい。帝に対する怨嗟《えんさ》の声が満ち満ちております」
「そうか」
大海人は表情を暗くした。今の帝は大海人にとっては敵である。
しかし、大海人とてこの国を愛していることには変りない。
朝廷と民衆との間が離反すれば、それは外国に乗ぜられる隙《すき》となる。そうなるのは、決して好ましいことではない。
それから、虫麻呂はふと思い出したように言った。
「帝が漏刻《ろうこく》をお作りになりました」
「漏刻?」
聞き慣れぬ言葉に、大海人は首を傾げた。
「漏る刻《とき》と書きまする」
虫麻呂は言った。
「そうか、話に聞く水時計のことか」
「はい、そのとおりでございます。水が少しずつ漏れることによって、時を刻むという、あの漏刻が都の中央に置かれてございます」
「民に時を知らせおるのか?」
「はい。その都度《つど》、太鼓を打っておられるようで」
「ふん」
大海人は鼻で笑って、
「虫麻呂、時を支配するのは天を支配することだ」
「——」
「帝もいよいよ、自分こそが天地の支配者であるという信念を固められたのであろう」
「たいそうな御自信でございますな」
「うむ、自信ならよいが、過信は身の破滅を招く」
大海人は独語《ひとりごと》をするように言った。