「同盟じゃと?」
帝は、初め驚きの表情を浮かべ、ついで何とも理解しかねるという顔をしてみせた。
「いったい、どういうわけだ」
「ははっ」
武智麻呂は、畏《かしこ》まって説明を始めた。
壱岐に唐の軍船が現われ、その大将である郭務※[#「りっしんべん+宗」、unicode60b0]が、日本に対して同盟の申し出に来たという経過を述べたのである。
「そもそも唐は、新羅が邪魔になったのでございます」
武智麻呂は言上した。
「新羅が?」
「さようでございます。唐にとって、新羅は走狗《そうく》にすぎません。韓《から》の地をすべて唐の領土に収めるための、走狗にすぎませなんだ。ところが、百済、高句麗を滅ぼし、首尾よく韓の地を治めようとしたところに、その走狗である新羅が牙をむいて襲いかかってきたのでございます」
「なるほど。その小癪な新羅を、わが国と共同して討とうというのか」
「さようでございます」
「その郭務※[#「りっしんべん+宗」、unicode60b0]という男は、同盟のために都に入りたいと申しておるのだな」
「はい、そのとおりにございます」
帝はしばらく考えていた。武智麻呂は、臣下の分際を越えたことではあったが、一歩進んで思い切って言った。
「このことについて、僭越ながらわが主《あるじ》栗隈王の意見を言上してもよろしゅうございましょうか」
「うむ、よかろう。この際だ、申してみよ」
帝はそれを許した。
「そもそも、唐がわが国と同盟を結びたいと申しているのは、邪魔な新羅を滅ぼすのが目的でございます。そしてその新羅を滅ぼしてしまえば、つぎにその牙がわが国に向けられることは必定。なろうことなら、このお話、辞退されるのがよろしかろうというのが、わが主栗隈王の意見でございます」
帝はそれを聞いて、少し不快な顔をした。
(いったいどうなされるつもりだ、帝は)
武智麻呂は、心の底からひやりとする思いを感じていた。
「いかが思う」
帝は、かたわらに侍していた息子の太政大臣大友皇子に聞いた。大友は頭を下げて、
「わたくしはこの際、唐と同盟を結ばれるのがよいと存じます」
「ほう、どうしてじゃ」
「とにかく、あの憎《に》っくき新羅めを叩きつぶすことこそ、もっとも肝要な優先すべき課題であると信じるからでございます。かの国は、もとはわが国に対して朝貢した国でありながら、今は無礼の限りを尽くした上に、韓の地に我らが持っていた領土をも奪い去った、不倶戴天《ふぐたいてん》の敵でございまする。この敵に天誅を加えますことこそ、まず第一のことかと……」
「うむ。よくぞ申した」
帝は言った。そして、他の大臣の意見はもう聞こうともしなかった。直ちに帝は、武智麻呂に向かって言った。
「直ちに大宰府に戻り、唐の使者を歓迎せよ、と伝えよ。わが国は、貴国と同盟を結ぶ意志がある、とな」
「では、わが主栗隈王の意見は、お採り上げにはなさらぬということでございますか」
「無礼者っ」
帝は叫んだ。
「そなたは使者の分際で、何を口を出す。栗隈王の進言であるというから、聞いてつかわしたのだ。それを、一介の使者たるそちが、改めて念をおすとは何事か」
「はっ、申し訳ござりませぬ」
武智麻呂は、床に額を擦りつけて謝罪した。
(もう終わりか)
武智麻呂の心には、絶望のみがあった。