しばらく間を置いて虫麻呂がたずねた。
なまじ慰めの言葉を言うよりも、その方がいいと思ったのだ。
「殺すまでのことはあるまい、放してやれ」
「かしこまりました」
「それより、こちらの方をな」
と、大海人は無惨な帝の死体に目をやった。
早足らが進み出て、素早く帝の体を筵で包んだ。そして、前と後ろを二人で掴んで運び去った。
「皇子《みこ》様、参りましょう。長居は無用というもの」
虫麻呂がうながした。
「——これで終わったな」
大海人は同じことを言った。
虫麻呂はふと不安になって、
「皇子様、これからどうなさるおつもりで?」
「さて——。吉野に戻って四季の移り変りでも楽しむとするか」
「それはなりませぬ」
虫麻呂は気色ばんで言った。
「なぜだ、わたしは止むを得ざるとはいえ、大逆の罪を犯したのだぞ。謹慎するのが当然ではないか」
「ならぬ」
突然、あらぬ方角から声がした。
大海人も虫麻呂も驚いて身構えた。
この一挙を見た者がいるのか。
総髪の男が、いつの間にかそこに立っていた。
「父上!」
大海人は驚いて叫んだ。
虫麻呂は大地にひれ伏した。
「沙《さ》|※[#「冫+食」、unicode98e1]《さん》様」
虫麻呂の口から、つぶやくような声が漏れた。
大海人の父はつかつかと二人に歩み寄って、
「それはならぬぞ」
と、念を押した。
「なぜです、父上」
「今、この国は極めて難しい舵取りをせまられておる。逃げてはならぬ。それを為すのがこの国の王家に生まれた者の責務だ」
父は大海人を見据えて言った。
「しかし、大津京には、新しい政《まつりごと》の担い手がいます」
大海人は抗議するように言った。
「何を言う。かの者共に、この国が任せられるか」
父は一喝した。
大海人は沈黙した。
確かにその通りだ。
おそらく大友皇子は、父帝の遺志を継いで、唐との同盟を目指すだろう。そうなったら、せっかく帝を暗殺した意味がなくなる。
ここまで来た以上、徹底的にやるしかない。
そのことは、実はわかっていた。
だが、帝の命を奪った時、突然襲ってきた空《むな》しさが、そのことへの意欲を失わせたのである。
「どうした、わが息子よ。やるのか」
大海人は驚いて顔を上げた。
「父上、今何と仰せられました」
「——わが息子、と申した」
父の目には、うっすらと涙がにじんでいるのが見えた。
「父上」
大海人は思わず駆け寄って、その両手を強く握った。
「やります。この国に平和と安寧をもたらしてみせます」
大海人の目にも涙があった。
父と息子は、そこで初めて抱擁しあった。
短くて、長い時が過ぎた。
別れ際、父はふと気が付いて、草むらの中から沓《くつ》を拾い上げた。
片方だけの沓、それは帝のものであった。
「亡骸《なきがら》を運ぶ時に落ちたのであろう。——手抜かりじゃな」
父は言った。
だが、息子はそれを受け取ると言った。
「このあたりに放り出しておきましょう」
「よいのか?」
父は驚いて言った。
「かまいませぬ。——京《みやこ》の者たちも、何の形見も無いでは困りましょう」
大海人は沓をその場に捨てた。
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ふと、気が付くと、大海人皇子は美濃国|不破《ふわ》関の仮屋にいた。
大友皇子の、いや近江朝の帝の首が運ばれてくるという知らせを聞いたのは、つい先刻のことである。
夢のような三十年だった。
先の帝を亡き者にするまでの雌伏の時期、そして帝を倒してからは、国中に檄を飛ばし、近江朝に反対する勢力を結集して戦に勝った。
勝ったのは、大海人の路線こそこの国にとっての正しい道筋だと、多くの人が信じたからである。
もはや、逃げも隠れもしない。この国の王者として、新しい秩序を築き上げる。それが自分に課せられた使命なのである。
「終わったのではない。これから始まるのだ」
大海人は外に出た。
山と山に囲まれた盆地に、東の方から顔を出した日輪が、黎明の光を注いでいた。
夜明けが始まったのである。
この後、この時代の歴史を編んだ人々は大海人のことを「天武帝」と呼び、先帝を「天智帝」と呼んだ。
その天智の死について「正史」の『日本書紀』は病死と記している。しかし、数百年後、大津三井寺の阿闍梨《あじやり》にして浄土宗の開祖法然の師でもあった皇円《こうえん》は、自ら著した歴史書『扶桑略記《ふそうりやつき》』の中で、天智の最期について次のように記している。
「馬を駕《ぎよ》して山科《やましな》の里に御幸《みゆき》して還御《かんぎよ》なし。永く山林に交りて崩ずる所を知らず。ただ、その履《は》ける沓の落ちたる所をもって山陵となす」
その天智帝の墓は今も京都市山科区にある。