臨湍(りんたん)寺の僧智通(ちとう)が、ある夜、法華経を読んでいると、何者かが堂のまわりをぐるぐるまわりながら、
「智通、智通」
と呼んでいるようであった。その声は夜があけるまでつづいた。智通は返事をせずにひたすら読経しつづけたが、その夜から同じ声が毎晩きこえ、しかもその声はだんだん大きくなって堂の中にまでひびいてくるので、
「何者だ、そうぞうしいぞ。用があるならはいってまいれ」
とどなると、声がやみ、黒い衣服をまとって青い顔をした身のたけ六尺あまりの大男がはいってきた。大男は大きな眼を見張り、大きな口をあけたまま、声を出さずにぶるぶるふるえている。そこで智通は、
「寒いのか。寒ければ、そこの火にあたるがよい」
と炉(ろ)を指さして、また読経をつづけた。
しばらくすると、妖怪は火に酔ったらしく、眼を閉じ口を開けて、炉のそばでいびきをかきはじめた。智通はそれを見ると、香をすくう匙(さじ)で炉の中の赤くなった灰をすくって、妖怪の口の中へいれた。と、妖怪は大声をあげて飛び起き、あわてて外へ逃げて行ったが、山門のあたりでつまずいて倒れる音がしたきり、あとは静かになった。
夜が明けてから智通が外へ出て見ると、昨夜妖怪が倒れたところに、青い木の皮が一片落ちていた。智通はそれを拾って、寺のうしろの山へ登って行った。
山の奥に大きな青桐の木があった。その木の根もとのくぼんだところに、皮のはげたらしい新しい跡があったので、持ってきた木の皮をあてて見ると、ぴったりと合った。幹には深さ六、七寸の洞(うつろ)があって、その中ではまだ赤い灰がくすぶっていた。
智通がその青桐を焚いてしまったところ、もう妖怪はあらわれなくなった。
唐『酉陽雑俎』