魏(ぎ)の黄初(こうしよ)年間のことである。清河(せいが)の宋士宗(そうしそう)という人の母親が、夏のある日、行水をするから誰も来ないようにといって浴室へはいって行ったきり、長いあいだ出て来なかった。家の者が不審に思って壁の隙間から覗(のぞ)いてみると、母親の姿は見えなかった。そこで戸をあけて中へはいってみると、桶の中に大きな鼈(すつぽん)がいた。その鼈の頭には銀の釵(かんざし)が載っていたが、それは母親が浴室へはいるときにつけていたものだった。
家族の者は声をあげて泣いたが、どうする術(すべ)もない。鼈は桶の中から出たそうに足を動かしていたが、家の者はどうしてやればよいのか判断のつかぬまま、そのままにして置いた。すると四、五日たったとき、鼈は桶から出て家の外へ這い出した。家の者が捕えようとすると、鼈は足を速めて逃げ、川の中へはいって行ってしまった。
数日たってから鼈は家に帰ってきて、人間だったときと同じように家の中を歩きまわっていたが、声をかけても答えず、しばらくするとまた川へ戻って行った。
近所の人々は宋士宗に、母親の葬儀を行なって喪(も)に服した方がよいとすすめたが、彼は、母は姿こそ変ってしまったが死んでしまったわけではないからといって、とうとう葬儀を行なわなかったという。
六朝『捜神記』