唐の柳宗元(りゆうそうげん)が、京官(けいかん)から永州の司馬(しば)(刺史の補佐官で武官)に左遷されたときのことである。
途中、荊門を通って駅舎に泊ったところ、その夜、黄衣の婦人があらわれて再拝し、泣きながら訴えた。
「わたくしは楚水(そすい)のほとりに住んでいる者でございますが、思わぬわざわいに逢いまして命旦夕(たんせき)に迫っております。これを救ってくださることのできる方(かた)は、あなたさまのほかにはございません。もしお救いくださるならば、長くご恩を感謝するばかりではなく、あなたさまのご運をひるがえして、宰相にでも将軍にでもご出世のできるようにいたします。どうかお力添えくださいますよう」
柳宗元は何の気もなしに承知したが、眼をさましてから考えてみたところ、何の心あたりもないので、そのままでまた眠ってしまった。するとまた黄衣の婦人があらわれて、同じことをくりかえし、しばらくして消えて行った。
翌日の夜あけごろ、土地の役人が来て、荊州の刺史が朝食にご招待したいゆえおいでいただきたいと伝えた。柳宗元はさっそく馬車の用意をいいつけたが、まだ東の空が白んできたばかりだったので、もう一休みしようと思ってまどろんでいると、またもや黄衣の婦人があらわれて、
「わたくしの命はいよいよ危くなってまいりました。差し迫っているこの危険をお察しくださいませ。もう半時(はんとき)の猶予(ゆうよ)もなりません。どうか早くお救いくださいませ。お願いでございます」
というのだった。その顔は惨然(さんぜん)として、いかにも危難が身に迫っているように見えた。婦人が再拝して消えて行ったとき、柳宗元は眼をさました。
これは何かあるのにちがいない、と柳宗元は考えた。あるいは役人たちのなかに自分に助けを求めている者がいるのかもしれぬ。あるいは今朝の饗宴のために鳥か獣か魚かが殺されることになっていて、救いを求めているのかもしれぬ。柳宗元はそう思い、すぐ仕度をして馬車で饗宴の席にかけつけた。そして主人の刺史に黄衣の婦人の話をしたところ、刺史も不思議に思い、
「とにかく膳部の役人を呼んで、きいてみましょう」
といった。
膳部の役人は「黄衣の婦人」ときくと、
「黄衣といえば、昨日、大きな黄魚(こうぎよ)(石(いし)首魚(も ち)の類)が漁師の網にかかりましたので、それを料理してお客さまに差し上げようと思いまして……」
といいだした。柳宗元がはっとして、
「その魚はまだ活(い)かしてあるのですか」
ときくと、役人は、
「いえ、たったいまその首を切りおとしたところです」
といった。
「おそらくそれが黄衣の婦人だ」
と柳宗元はいい、その魚を河へ投げ込ませたが、首を切られた魚が生き返るはずはなかった。
その夜、柳宗元の夢枕に黄衣の婦人はまたあらわれたが、見れば婦人には胴体があるだけで首がなく、従ってものもいわず、しばらくすると消えて行った。
黄衣の婦人のせいかどうか、柳宗元は宰相にも将軍にもなれず、柳州の刺史を以て終った。
唐『宣室志』