南宋の紹興(しようこう)三十一年のことである。湖州の呉一因(ごいちいん)という漁夫が、魚を捕りに出て、新城の水柵(すいさく)の近くに舟をつないでいた。
岸の上には民家があったが、夜が更けてからその民家の前で話し声がした。暗くて姿は見えなかったが、声は舟の中まで聞こえてきた。
「おれたち、ずいぶん長いあいだこの家で遊んでいたから、そろそろほかのところへ移ろうじゃないか。ちょうどそこに舟があるから、あれに乗って行ったらどうだろう」
「あれは漁師で岩乗(がんじよう)だし、それによその土地の人間だから具合がわるいよ。あしたまで待てば東南の方から、あの舟よりも大きい舟が来ることになっている。その舟には紅(あか)い食器が二組と、五つ六つの酒壺が載せてあるはずだから、それに乗り込んで行こう。その家はここの家の親戚で、かなり金持らしいから、遊び甲斐(がい)があるにちがいない」
「そうだな。それじゃ、そうすることにしよう」
話し声はそれきりでやんだ。呉はあれこれと考えてみたが、何の話かわからなかった。
しかし気になってならないので、夜があけると舟からあがり、岸の民家へ行って、きいてみた。
「ゆうべ、真夜中ごろ、お宅の前で四、五人の者があやしげな話をしているのを聞いたのですが、気にかかってならないものですから……」
「どんな話ですか」
とその家の老人がきき返した。
「お宅にずいぶん長いあいだいたから、ほかの家へ移ろうというような話でした」
呉がそういうと、その家の老人はしばらく考えてから、
「じつは倅(せがれ)が一と月ほど前に疫病にかかって、一時は命もあぶなかったのですが、二、三日前から急によくなってきて、きのうはもう起きることができるほどになりました。もしかしたら、あなたがお聞きになったという話し声は、その病気の声かも……」
呉はそれを聞いてはじめて、ゆうべの声が疫鬼(えきき)たちの声だったということをさとった。
そこで水柵を越えて舟を漕ぎのぼり、東南四、五里さきの岸まで行って、ゆうべの疫鬼たちがいっていたような舟が来るかどうか待ち受けていると、やがて一艘(そう)の舟がくだって来たので、呼びとめてたずねた。
「妙なことをおききしますが、その舟には紅い食器が二組と酒壺が五つ六つないでしょうか」
するとその舟の人はひどくおどろいて、
「どうしてそれをご存じなのです」
といった。
呉がわけを話すと、舟の人はいよいよおどろき、
「ありがとうございました。あなたが知らせてくださらなかったら、この舟に疫鬼を乗せて帰ることになったのだと思うと、ぞっとします。あの水柵の近くの家はわたしの娘婿の家で、婿は長いあいだ疫病にとりつかれていたのですが、このごろ少しよくなったときいて、これから様子を見に行くところだったのです。婿はもともと丈夫なたちで、それで命が助かったのですが、わたしの家の者はみな弱くて、もし疫鬼にとりつかれたらえらい目にあうところでした」
といい、舟に積んでいた酒や肉を、お礼にといって呉の舟へ積みかえて、早々に舟を漕ぎもどして行った。
宋『異聞総録』