山は魑魅(ちみ)の一種らしい。
南朝の宋の元嘉(げんか)年間のはじめのことである。富陽の王という男が、蟹(かに)を取るために川の中へ簗(やな)を仕掛けておいて翌朝見に行くと、長さ二尺くらいの棒切れがひっかかっていた。そのために簗が破れて、蟹は一匹もかかっていなかったのである。
そこで棒切れを岸へ放り捨て、簗の破れをつくろって帰ったが、翌朝行って見ると、例の棒切れがまたひっかかっていて、簗は破れていた。
「おかしいぞ。もしかするとこの棒切れは魑魅のたぐいかもしれぬ。いっそのこと焚いてしまおう」
王はそう思い、蟹を入れる籠(かご)の中へおし込んで、肩にひっかけて帰ってきた。すると、籠の中でがさがさという音がした。
ふりかえって見ると、棒切れはいつのまにか怪物に変っていた。顔は人間のようであり、躰(からだ)は猿に似、足は一本きりである。怪物は籠の中から王にいった。
「わたしは蟹が何よりの好物なので、あなたが仕掛けた簗を破ってみんな食ってしまいました。どうか、ご勘弁ください。もしわたしをゆるしてくださったら、きっとあなたのために大きな蟹が取れるようにしてあげます。わたしは山の神なのです」
「ゆるしてやるわけにはいかん」
と王はどなりつけた。
「おまえは、一度ならず二度まで、おれの商売道具の簗を破った。神だろうが何だろうが、そんなやつをゆるしてやることができるか。罪の報いと思って観念しろ」
怪物はしきりにゆるしを請うたが、王がどうしてもきかないとわかると、
「それでは、せめてあなたの名だけでもきかしてください」
といった。
「名をきいて、どうしようというのだ」
「ただ、ききたいだけです。教えてください」
「いやだ!」
王は怪物がいくらたのんでも承知しなかった。やがて王の家に近づくと、怪物は悲しげにいった。
「あなたはゆるしてもくださらず、名を教えてもくださらない。もう、どうすることもできません」
王は家へ帰るとすぐ、その怪物を籠ごと火の中へ投げ込んで焚いてしまった。
土地の人々は、このたぐいの怪物を山と呼んでいる。山は人の姓名を知ると、その人を傷つけることができると言い伝えられている。怪物が王の名をきこうとしたのも、王を傷つけて逃がれようとしてであったらしい。
六朝『捜神後記』