数十年前のことである。江東のある商人の左の腕に、不思議な腫(は)れものが出来た。
その腫れものは人間の顔にそっくりで、目鼻もあれば口もあった。しかし腕には何の痛みもなかった。あるとき、たわむれにその腫れものの口へ酒を垂らし込んでみたところ、いくらでも吸い込み、やがて腫れものの顔は酔ったように赤くなってしまった。食べ物をやると、何でもみな食べた。だが、やがて二の腕が腹のようにふくらんでくると、腫れものは口をつぐんだ。それ以来、何も食べさせずにいると腕がしびれて動かなくなった。
その商人は、道士に見せたり医者に見せたりしたが、誰もみな気味わるがって首をふるだけで、手のほどこしようがなかった。ある道士は、何かの妖怪が毛穴からはいり込んで住みついてしまったのだろうといい、妖魔退散の祈祷(きとう)をしたが、何のききめもなかった。たまたま、名医のほまれ高い医者が、
「金石草木のたぐいを片っぱしから食べさせてみるがよい」
といった。そこで毎日四、五種類ずつ、さまざまな物を食べさせてみたが、どんな物でもみな食べてしまうのだった。ところが、ある日、貝母(ばいも)という草を食べさせてみたところ、その腫れものは眉をしかめ口を閉じて、どうしても食べようとしなかった。そこでその商人は、葦(あし)の管(くだ)を腫れものの口へねじ込んで貝母のしぼり汁をそそぎ込んだところ、数日たつと腫れものの顔はくしゃくしゃにつぶれてしまって、目鼻もわからないただのかさぶたになってしまった。そのかさぶたを引きはがしてみたところ、腕には何のあともなかったという。
唐『酉陽雑俎』