少保(しようほ)の馬亮公(ばりようこう)がまだ若かったときのことである。
ある夜、燈下で書物を読んでいると、窓から、不意に扇(おうぎ)のような大きな掌が、ぬっと出てきた。馬亮公が知らぬ顔をして書物を読みつづけていると、いつの間にかその掌は引っ込んでしまっていた。
その大きな掌は翌日の夜、また出てきた。馬亮公が筆に雌黄(注)の水をひたして、その掌に大きく自分の書き判を書くと、窓の外では掌を引っ込めることができなくなったらしく、大声で、
「早く洗いおとしてくれ。さもないと、おまえのためにならんぞ」
と叫ぶのがきこえた。馬亮公はかまわずにそのまま寝てしまったが、外ではしきりに、
「洗ってくれ、洗ってくれ」
と叫びつづけている。それでもなおかまわずにいると、外の声は明け方になるにつれてだんだん弱ってきて、ついには哀願しだした。
「あなたはいまに出身なさるお方なので、ちょっといたずらをして、あなたの度胸をためしてみただけなのです。わたしをこんな目にあわせるのは、ひどすぎはしませんか。もう、いいかげんにゆるしてください。お願いします」
馬亮公はもう十分にこらしめたと思い、その掌に書いた字を水で洗いおとしてやった。すると掌は次第に縮んで消えていった。
その掌がいったとおり、馬亮公は後に出身して少保の高官にのぼった。
宋『異聞総録』
(注)「雌黄」は硫黄と砒素との混合した黄土で、薬用にしたり顔料(えのぐ)にしたりした。黄紙に字を書いた時代、誤写したときには「雌黄」で塗りつぶして、その上に改めて書いた。言論を改変することを「口中雌黄(こうちゆうのしおう)」というのはこのためである。