天津(てんしん)の挙人の某が、清明節(陽暦四月五日前後の節句)のとき、四、五人の友人といっしょに馬で郊外へ遊びに出かけた。軽薄な連中で、柳の木の下を若い女が驢馬に乗って行くのを見かけると、女に連れがないのをよいことに、追いかけて行ってからかったりふざけたりした。だが、女は一言も相手にならず、驢馬に鞭(むち)をあてて逃げだした。
ところが、二、三人の者が追いつくと、女は驢馬から下り、笑顔で応じながら、ふざけあいだしたのである。
某はそれを見て、「ものになりそうだぞ」といい、三、四人の仲間といっしょに馬を走らせてそこへ行き、声をかけようとして女を見ると、なんとそれは自分の妻だった。
「ばか! 何をしに来たんだ」
とどなると、妻は、
「遊びに来たのよ。あなたもでしょう?」
といい、それきり夫を無視し、その友人たちと軽口をたたいて、ふざけあっている。某がかっとなって殴りつけようとすると、妻はひらりと驢馬にとび乗って、
「他人の妻だとふざけ、自分の妻だと怒るのね」
といった。見ればそれは妻ではなく、もう別人の姿に変っていた。茫然としている某に、女は鞭をつきつけていいつづけた。
「聖賢の書物を読んでいながら、なにもわかっていないのね。書物を読むのは試験に合格するためだけで、することはあさましいことばかり。少しは恥を知りなさい」
そういい捨てると、驢馬の首を転じて行ってしまった。某は死人のように顔色が土気色になり、そこに立ちすくんだまま動くこともできなかった。仲間たちもみな同じだった。
それがなんという妖怪だったのかは、ついにわからなかった。
清『閲微草堂筆記』