唐の開元(かいげん)年間のことである。ある娘が、深山に庵(いおり)を結んでいる男につれ去られて、無理やりにその妻にされた。
男は妻を大事にした。二年たったときのこと、ある日、二人の客が酒をたずさえてやってきた。男は妻に、
「あの二人は変り者だから、おまえは顔を出さぬ方がよい。おれたちだけで勝手に飲むから、部屋を覗(のぞ)いたりしないようにな」
といい、一室で酒盛りをはじめた。三人は大騒ぎをして酒を飲んでいる様子だったが、やがて静かになった。酔って寝てしまったようである。妻は夫が顔を出してはいかんといったのを不審に思い、我慢ができなくなって、そっと覗いてみた。
その部屋には三匹の虎が横たわっていた。妻ははじめて夫が虎だったことに気づき、大いにおどろいたが、さわいではかえって危いと思い、自分の部屋へもどって、眠っているふりをしていると、夫がはいってきて、
「おまえ、覗きはしなかったろうな」
といった。
「つい眠ってしまいまして……」
と妻がいうと、夫は、
「うん、それならよい。二人はもう帰って行ったよ」
といった。その後、妻は何も知らないふりをしてすごしながら、おりを見て夫にたのんだ。
「わたし、ここへきてからもう二年あまりになりますけど、いちども実家(さ と)へ帰ったことがありません。いちど帰って、両親を安心させたいのですけど……」
「うん、もう二年あまりにもなるか。親が子を思い、子が親を思うのは人情だろうからな」
夫はそういって、肉や酒を手(て)土産(みやげ)に、妻を実家へ送って行った。実家の近くに、かなり大きな川があった。妻はさきに渡ってしまって、夫が渡ろうとして裾をからげるのを見ると、向う岸から大声で、
「あら、あなた、どうして尻尾(しつぽ)なんか生やしているの」
と叫んだ。すると夫は急にうろたえだし、虎の姿に変って、川を渡らずにそのまま駆けもどって行った。その後は二度と姿をあらわさなかった。
唐『広異記』