唐の天宝年間のことである。長安の延寿里に王薫(おうくん)という人がいた。ある夜、数人の友人が王薫の家で、それぞれ食べ物を持ち寄って会食をしていたところ、突然、燈火の陰から大きな腕が伸びてきた。色の黒い、毛むくじゃらの腕である。一同がぎょっとして身を引くと、燈火の陰から声がきこえてきた。
「せっかくのお集りのところ、お邪魔をして申しわけありません。少しで結構ですから、この手の上に肉を載せてくださいませんか」
王薫はおそろしさのあまり、わけもわからぬまま、いわれたとおり肉をその手の上に載せた。すると腕はすっと引っ込んでしまった。
王薫たちがみな茫然としていると、また燈火の陰から腕が伸びてきて、
「さきほどはありがとうございました。すっかり頂戴してしまいましたので、もう少しこの手の上に肉を載せてくださいませんでしょうか」
といった。王薫がいわれたとおりにすると、腕はまた引っ込んでしまった。
「妖怪にちがいない」
と王薫がいった。
「こんどあらわれたら、あの腕を斬り落としてやろう」
しばらくすると、また燈火の陰から腕が伸びてきた。
「さきほどは……」
という声がしたとき、王薫が刀を抜いて斬りつけると、どさっという音がして腕が落ち、同時に何者かがあわてふためいて逃げて行く気配がした。
燈火を寄せ集めて調べてみると、窓際に驢馬の前肢(まえあし)が一本ころがっていて、あたりは血まみれになっていた。夜があけてから、王薫が血のあとをたどって行くと、村はずれの民家の前で消えていたので、その家の主人にわけを話してきいてみると、主人はびっくりして、
「そうでしたか。うちでは驢馬を一頭飼っているのですが、今朝見ましたところ、前肢が一本なくなっているので、どうしたわけだろうと不審でならなかったところです。飼いだしてからもう二十年になる老いぼれの驢馬なんですが……」
といった。
その家では早速、その驢馬を殺してしまった。
唐『宣室志』