山西の竜門に謝中条(しやちゆうじよう)という小役人がいた。
軽薄で、しかも好色な男だった。三十歳をすぎてから妻をなくし、しきりに後添いをさがしていたが、まだ幼い三人の子供がいるせいもあって誰も来手(きて)のないまま、婆やを雇って子供たちの世話をさせ、自分は勝手に遊び歩いていた。
ある日、山道を歩いていると、うしろから女がやって来た。足をとめて待っていると、近づいて来たのは二十歳くらいの可愛い顔の女だったので、謝は、これは意外にいい玉だとほくそ笑み、
「ねえさん、山道の一人歩きはこわいだろう」
と声をかけてみた。だが、女は黙って小走りに通りすぎて行った。謝はあとを追って、
「ねえさんのそのかわいい足では、山道は難儀だろう」
といったが、やはり女は振り向きもしない。謝はあたりに誰もいないのをさいわい、いきなり女の手をつかみ、草むらの中へ引っぱって行った。すると女は怒って、
「卑怯(ひきよう)な男ね。こんなところで乱暴するなんて。あんたはいったい何者なの」
と叫んだが、謝がかまわずにおし倒して下衣を引きおろそうとすると、女は、
「いうことをきくから、手をゆるめてちょうだい。やさしい人をさがしていたのに、あんたのような乱暴な男に出会うなんて……」
といった。
「ほんとうに、いうことをきくか」
謝が下衣を握ったままいうと、女はうなずき、自分で下衣をぬいでそれを下に敷き、謝に躰(からだ)をまかせた。
雨がやみ雲がおさまってから、謝が女に、
「おまえのように具合のよいのは、おれは、はじめてだ。ほんとうだよ」
というと、女は、
「わたしも、はじめてだったわ」
といった。そして謝に、名や住所をきいた。謝がありていに答えてから、
「おまえは?」
ときき返すと、
「あたしの苗字(みようじ)は黎(れい)。運がわるくて早く後家になった上、姑(しゆうとめ)もなくなってしまって、まったくの一人ぼっちなの。ほかに頼る人もいないので、いつもおっかさんの家へ行くの。今日もその帰りなのよ」
といった。
「そうか、後家か。若い後家さんだな。おれもやもめなんだ。どうだ、いっしょにならないか」
「あんた、子供がいるのでしょう?」
「いる。三人もいるんだ。いやか?」
「あたしには継母(ままはは)はつとまらないわ。いくら世話をしても、世間の人は継母だからどうのこうのといいふらすにきまってるんだから。あたし、それがいやなのよ」
「やっぱり、だめか」
「だめということはないけど……。あんたに肌を許してしまったんだし、あんたは具合がよかったといってくれたし、あたしもとてもよかったし、だから、いっしょになりたいとは思うけど……」
「だが、子供がいるからいやだというんだろう」
「あたし、これでも子供は好きなの。大好きなのよ。食べてしまいたくなるほど好きなのだけど……。いまその三人の子供たち、誰が面倒を見てるの?」
「婆やを雇って、世話をさせている」
「その婆やをやめさせてくれない? やめさせたら、あたし、あんたの家へ行く。世間には知られないように、こっそり行くわ。やもめと後家だもの、それでいいでしょう。世間には内証の夫婦でいいじゃない? 子供は、あたし、可愛がって面倒を見るわ」
「ほんとうか。それはありがたい」
二人はもういちど抱きあって、互いに歓(よろこ)びをつくしあった。
翌日、謝は婆やに暇を出した。その夜、女は衣類をいれた袋だけを持って、こっそりと謝の家に来た。
謝は女のことを、役所の同僚たちにもかくしていた。同僚たちは、いつも遊び歩いていた謝が、役所がひけるとまっすぐ家へ帰ってしまって、色町にも賭場にも姿を見せなくなったことを不思議に思ったが、わけをきかれると謝は、
「婆やがいなくなったので、子供たちの面倒を見なければならんのだ」
と答えて、女のことはかくしとおした。
女は家事のきりもりもうまく、子供たちの面倒もよく見た。謝は夢中になって女を可愛がり、いつも門を閉めたままにして、客があっても家の中へは入れなかった。
一と月たったとき、謝は役所の用で隣村へ行くことになった。家を出るとき謝は、
「きょうはいつもより帰りがおそくなる。人が来ても門をあけるなよ」
と女にいった。
夕方、謝は帰って来たが、いくら門を叩いても女はあけに来なかった。おれだということがわからんのか、と謝はぶつぶついいながら、やっと門をこじあけたが、家の中はひっそりと静まり返っていて子供たちの声もしない。寝てしまったのかと思い、寝室の戸をあけたとたん、大きな狼が一匹、戸に突きあたらんばかりの勢いで飛び出して来て、謝の躰をかすめて走り去って行った。謝は息もつまるほど驚き、ようやく足を中へ運び入れるようにして寝室へはいって見ると、子供たちの姿はなく、血まみれになった寝台の上に、誰とも見わけのつかない三つの小さな頭蓋骨がころがっているだけだった。
清『聊斎志異』