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中国怪奇物語068

时间: 2019-05-28    进入日语论坛
核心提示:  任(じん)氏伝 任氏というのは、女の姿をした妖怪である。 韋使君(いしくん)(使君は刺史に対する尊称。韋は後に刺史に
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   任(じん)氏伝
 
 
 
 
 任氏というのは、女の姿をした妖怪である。
 
 韋使君(いしくん)(使君は刺史に対する尊称。韋は後に刺史になったので、こう呼んだ)という人がいた。名は崟(ぎん)といい、信安(しんあん)王の〓(い)の娘の子にあたる。若いときから豪放な性格で、酒好きであった。
 この崟の従妹(いとこ)の婿に、鄭六(ていろく)という者がいた。少年のときから武芸を習い、やはり酒と女が好きだったが、崟とはちがって貧乏なために家を構えることができず、妻の親類の家に寄寓していた。崟とは気が合って、二人はいつも連れだって遊びまわっていた。
 天宝九年六月のことである。崟は白馬に乗り、鄭は驢馬に乗って、いっしょに遊びに出かけ、新昌里(しんしようり)で酒を飲もうということになって、宣平門(せんぺいもん)の南まで行ったが、そのとき鄭は、
「ちょっと用事を思い出したので、さきに行ってくれ」
 といいだした。崟が、
「どうしたんだ、飲みに行こうといいながら」
 というと、鄭は、
「いや、すまん。あとから行くから、君はさきに行って飲んでいてくれ」
 という。
「それじゃ、飲み屋で待っているからな」
 崟はそういって別れ、白馬を東の方へ向けた。
 鄭は驢馬で南へ向かったが、昇平里(しようへいり)の北門をはいったところで、三人の女連れを追い越した。ふり返って見ると、まんなかの白衣を着た女がすばらしい美人だった。鄭は一目惚れをし、驢馬の手綱を引いたり緩(ゆる)めたりして、後になったり先になったりしながら何度も声をかけようとした。だが咎(とが)められてはまずいと思ってためらっていると、やがて白衣の女もときどき流し目を送ってくるようになったので、誘いに乗ってきそうな気がして声をかけた。
「あなたのような美しい方が、乗り物もなしに歩いていらっしゃるなんて、どうしてですか」
 すると、白衣の女は鄭を見上げて笑いながら、
「乗り物があっても貸そうとおっしゃる方がいないんですもの、歩いて行くよりほかないでしょう?」
 といった。そこで鄭は、
「こんな粗末な乗り物を美人におすすめしては、かえって失礼だと思って遠慮していたのですが、かまわなければお使いください。わたしは歩いてお供をしますから」
 といい、女と顔を見合わせて笑った。
 鄭が驢馬から下りると、白衣の女は、
「あら、ほんとうに貸してくださいますの。それでは、ご好意にあまえて」
 といい、二人の侍女にたすけられて驢馬に乗った。二人の侍女も鄭に対してうちとけたそぶりを見せだし、次第にちょっとした冗談までいうようになった。
 楽遊園(らくゆうえん)のあたりまで行ったときには、もう日が暮れていた。ふと気がつくと、土塀をめぐらした大きな屋敷の前まで来ていた。白衣の女はその屋敷の門のところでふり返って、
「ちょっとここでお待ちくださいね」
 と鄭にいい、驢馬からおりて、二人の侍女のうちの一人をつれて中へはいって行った。残った侍女が鄭に、名前や住所をたずねたので、鄭は正直に答えてから、
「ところで、あのお方は?」
 ときくと、侍女は、
「あら、ご存じなかったのですか。姓は任(じん)、二十番目のお嬢さんです」
 といった。しばらくすると中から、
「どうぞ、おはいりになってください」
 という声が聞こえてきた。鄭は驢馬を門につなぎ、中へはいって行った。すると三十歳あまりの女が出迎えて、
「姉でございます。ようこそおいでくださいました」
 といった。
 案内されて行った奥の部屋には、あかあかと燈火がともされていて、酒食の用意がしてあった。姉は鄭を席につかせて、酒をすすめた。三、四杯飲んだとき、任氏が化粧をなおしてあらわれ、姉にかわって鄭をもてなし、いかにも楽しそうに自らも杯をかさねた。鄭は陶然として、仙境にいるような思いだった。任氏の美しさは、この世の人とは思われないほどだった。茫然としている鄭に任氏は身を寄せて来て、ささやいた。
「もう夜も更けてきましたわ。あちらへ行って、やすみません?」
 任氏は鄭の手を取って立ちあがらせ、隣室へつれて行った。そこは寝室だった。任氏は燈火を吹き消し、鄭の着物をぬがせると、自分もぬいだ。玉のような裸身が、夜目(よめ)にも浮きあがって見えた。任氏はくつくつ笑いながらその裸身を鄭にぶっつけるようにして、いっしょに寝台の上に倒れ込んだ。
 雲となり雨となり、鄭は未(いま)だかつて覚えたことのない深い歓(よろこ)びを味わいつづけた。それを口にすると、任氏も声をふるわせて、
「うれしい! わたしもですわ」
 といった。
 やがて夜が白んで来ると、任氏は、
「もう起きなければ……」
 といい、寝台からすべり下りて着物をまといながら、
「あなたもお起きになって、早くお帰りになってください。わたしたち姉妹は教坊(きようぼう)(玄宗が宮中に設けた歌舞の教習所)の南坊につとめておりますので、朝早く出かけなければなりませんの。ゆっくりしてはおられませんのよ」
 といった。鄭は名残(なごり)惜しかったが、後日(ごじつ)を約束して帰ることにした。任氏は鄭を門のところまで見送った。
 鄭は驢馬に乗って引き返したが、まだ城門は開いていなかった。門の脇に西域人の餅屋があって、燈火をつけて炉(ろ)の火をおこしはじめたところだった。鄭は驢馬から下りて店さきの椅子に腰をおろし、開門の太鼓の鳴るのを待ちながら、店の主人に話しかけた。
「この道をまっすぐに行って、東へ曲ったところに、土塀をめぐらした屋敷があるだろう? あれは誰のお屋敷だね」
 すると主人は、
「塀といっても、くずれ放題でしょう。中には屋敷なんかありませんよ。あそこは空地です」
 といった。
「空地だって? おれはいま行って来たんだぜ。立派な屋敷だったよ」
「そんな、ばかな……」
「ばかなとは何だ。現におれは……」
「ああ、わかりましたよ。あの荒れた空地には狐が一匹棲(す)みついていて、男を化(ば)かして連れ込むんですよ。これまでそんなことが三、四度あったんです。さては旦那もやられましたな」
 鄭はそういわれて、うろたえだし、
「いや、おれはただ通りかかっただけだが、門もあって、立派な屋敷のように見えたが……」
 といってごまかした。
 夜が明けてから鄭が舞い戻って行って見ると、主人のいったとおり、土塀はほとんどくずれ落ちていて、中は荒地と廃園で、屋敷など跡形もなかった。だが、鄭の脳裡には昨夜のなまめかしい任氏の姿態があった。何とかしてもういちど会いたいものだと念じながら、鄭はうつけ者のようになって家へ帰って行った。
 家に帰ると間もなく、崟が訪ねて来て、
「昨夜はどうしたんだ。新昌里の飲み屋でおれに待ちぼうけをくわせやがって」
 といった。
「いや、すまん、すまん。どうしても行けなくなってしまったもんだから」
 鄭はひたすらあやまって、任氏のことは口に出さなかった。
 それから十日あまりたったとき、鄭は長安の西市(せいし)の衣裳屋の店先で任氏の姿を見かけた。二人の侍女もいっしょだった。あわてて呼びかけると、任氏は身をひるがえして人ごみの中へ逃げ込んだ。鄭が人ごみを縫ってようやく追いつくと、任氏はくるりと背を向け、大きな扇で背中をかくしながら、
「もうご存じのくせに、どうして追って来られるのです?」
 といった。
「知っていたって、かまわないだろう」
「でも、恥かしいのよ。会わせる顔もないくらい」
「こんなに思いつめているのに、わたしを見捨てようというのか」
「そうではありません。ただ、あなたに嫌われるのがこわいのです」
「嫌うなんて、そんなことがあるものか。誓うよ」
 鄭がそういうと任氏はようやく扇をはずして、ふり向いた。その輝くばかりのあでやかさは、先日の夜と少しも変らなかった。任氏はその顔をほころばせながらいった。
「この世にわたしのような者は幾人もいるのです。みなさんがそれにお気づきにならないだけですの。わたしだけをわるく思わないでくださいね」
「さっき誓ったじゃないか。わるく思ったりなんかするものか。わたしは、あなたといっしょに暮らしたいんだよ」
「わたしたちの仲間が人から嫌われるのは、人をだまして害をするからなのです。でも、わたしはそんなことはしません。もしあなたがわたしを信じてくださるなら、わたしは一生おそばで仕えさせていただきたいと思っております」
「それは願ったり叶ったりだ。そうと決ったら、どこで、どうしていっしょに暮らそうか」
 鄭がそういうと、任氏ははじめから決めていたかのように、すらすらといった。
「ここから東へ行ったところに、大きな木が屋根ごしに枝を張っている家があります。まわりも閑静ですから、あの家を借りて住みましょうよ。このあいだ宣平門の南で、白い馬に乗って東の方へいらっしゃった貴公子は、あなたの奥さまのご親戚でしょう? あの方のお家にはいま家具があまっているようですから、貸していただけるでしょうし……」
 そのとき崟の伯父や叔父たちは地方に赴任していたので、崟の家には三軒ぶんの家具が保管してあったのである。
 鄭が任氏にいわれて崟の家へ行き、家具を貸してもらいたいとたのむと、崟はあやしんで、
「何に使うんだ」
 ときき返した。鄭はきかれるのを待っていたとばかりに、胸を反(そ)らせるようにしていった。
「もちろん、家に使うんだ。絶世の美人を手に入れたもんでね。家は借りたんだが、家具にまでは手がまわらないので、君の家のを使わしてもらいたいと思ってね」
 すると崟は笑いだした。
「絶世の美人だって? 君がねえ……。まあ、いいさ。人は好きずきだからね。いつか君のその美人にお目にかからせてもらいたいものだね。家具は君がいるだけ選んでくれ。お祝いがわりに下男に運ばせよう」
 崟は鄭が選んだ寝台や帷帳(とばり)や家具を、下男にいいつけて車に積ませ、
「ほんとうに女がいるのかどうか、いたらどんな女か見てくるんだぞ」
 と耳うちした。
 鄭のあとについて車で道具を運んで行った下男は、しばらくすると空(から)の車をひいて戻って来た。
「いたか」
 と崟がきくと、下男はいかにも納得のいかないような顔をして、
「いました……」
 と答えた。
「どんな女だった」
「それが、こんなに美しい人がこの世にいるのだろうかと疑いたくなるほどの、美しい人でした」
「大袈裟(おおげさ)なことをいうな。おまえ、その女に鼻薬(はなぐすり)でも嗅(か)がされてきたんじゃないか」
 崟はそういいながらも、親戚のなかで美人だといわれている女の名を挙げて、
「どっちが美人だ」
 ときいた。下男はためらわずに、
「くらべものになりません」
 という。評判の美妓の名を挙げても、下男の答えは同じだった。
「それなら、呉王(ごおう)の六番目の姫とは、どっちが綺麗(きれい)だ」
 最後に崟は、仙女のようにあでやかだという噂のある従妹の名を出したが、下男はやはり、
「くらべものになりません」
 といった。
「そうか。鄭は絶世の美人だといったが、ほんとうにそうだったのか。それにしてもあの風采のあがらない鄭が、そんな美人を手に入れるなんて、この眼で見なければ信じられん」
 崟はそういって、さっそく身仕度をととのえ、口紅をさして(注。当時は男でも正装のときには口紅をさした)、鄭の借りた家へ行ってみた。
 鄭の家へはいって行くと、童僕が箒(ほうき)で庭を掃いていて、
「ご主人はさきほどお出かけになりました」
 といった。かまわずにはいって行こうとすると、下女が出て来て、
「奥さまもお留守でございます」
 という。部屋の中をのぞき込むと、赤い裳(もすそ)が扉の間から出ているのが見えた。崟が下女をおしのけてはいって行くと、女が扉のかげにかくれていた。
 まことに、下男がいったとおりの美女だった。こんなに美しい人がこの世にいるのだろうかと疑いたくなるほどの、美しさだったのである。崟は気も狂わんばかりになり、いきなり抱きかかえて奥の部屋へ行き、寝台の上へおし倒したが、女は抵抗しつづけた。それでも崟は力まかせにおさえつけて、あくまでも犯そうとした。女はどうにも抵抗しきれなくなり、崟の手がとどきそうになると、
「いうことをききますから、そんなにおさえつけないで」
 といった。ところが崟が力をゆるめると、女はまた抵抗しだした。そんなことを二、三度くりかえすうちに、女は力が尽きてしまったのか、ぐったりとしてもう抵抗しなくなり、青ざめた顔をして怨(うら)めしそうに崟を見つめた。
「いうことをきいてくれるのか」
 と崟がいうと、女は首を横に振って、
「どうしてもとおっしゃるのなら、わたし、舌を噛み切って死にます」
 というのだった。
「なぜそんなにわたしを嫌うのだ」
「好きとか嫌いとかいうことではありません。鄭さんがお気の毒だからです」
「どうして鄭が気の毒なんだ」
「あなたはお金持ちで、好きなことは何でもできるご身分でしょう? あちらこちらで綺麗な人を思いのままになさっていて、わたしみたいな者はいくらでもおありなのでしょう? ところが鄭さんは貧乏で、深い仲といえばわたしだけなのですよ。ありあまっているのに、足りない人のものを取ろうなんて、あんまりじゃありませんか。それでは鄭さんがお気の毒ですわ。鄭さんは貧乏なために、食べることから着ることまで、あなたの世話になっておられます。だからといってあなたは鄭さんに対して、どんな勝手なことをしてもいいというわけではないでしょう」
 崟はもともと侠気(おとこぎ)のある人だったので、女の言葉を聞くと手を放した。女は起きあがって衣裳をととのえながら、
「すみません。わたし、生意気なことをいって」
 といった。
「いや、わたしがわるかった。あなたを見たとたん、わけがわからなくなってしまったのだ」
 崟はそういってわびた。
 間もなく鄭が帰って来ると、任氏は、
「家の様子を見に来てくださいましたの」
 と崟のことをいった。鄭は何も疑わず、
「おかげで部屋らしくなったよ。家具は大事に使わせてもらうからな」
 と、うれしそうにいった。
「うん。すばらしいじゃないか」
 と崟がいうと、鄭はますますうれしそうに、
「この人のことか」
 と任氏を見ていった。
「この人はすばらしいどころじゃないぞ。もっと上だ。わたしがすばらしいといったのは、この人のために君が下女や童僕までやりくりしたことだよ」
「いや、この人がつれて来たんだよ。わたしにそんな算段ができるわけはなかろう」
「そうか。そうだろうな。これから君たち二人のためにお祝いをしよう」
 崟はそういって、紙に一筆したため、童僕を手招きして、
「これをわたしの家へとどけてくれ」
 といった。
 やがて崟の家から酒や料理がとどけられ、三人は夜が更(ふ)けるまで楽しく語りあった。
 それからというもの、崟は任氏の塩酢(えんそ)の世話をすべてするようになった。任氏もときどき崟の家へ立ち寄るようになり、次第に狎(な)れ親しんでいって、ざれごとをいったりするようにもなったけれども、道をふみはずすことだけはしなかった。
 任氏は崟が自分を可愛がってくれていることがわかると、つらくなって、こういいだした。
「あなたにはずいぶん甘えさせていただいて、ほんとうにありがたいと思っております。でも、わたしにはお礼のしようがありません。鄭さんを裏切るわけにはいきませんから——。わたしにできることといえば、わたしの代りにお気に召す人をとりもつことしかありません。わたしは陝西(せんせい)の者で、秦城(しんじよう)で育ちました。家は楽師でしたから、従姉妹(いとこ)や親戚の女には人の囲い者になっている者もたくさんおります。それで長安の下町のことは何でも心得ていますから、もし下町の綺麗な人で、お気に召しながら思いどおりにならないような人でもありましたら、おとりもちいたします。せめてそんなことでご恩返しをすることしか、わたしにはできないのです」
「それはありがたい。ひとつ、あなたにたのもうかな」
 と崟はいった。ちょうど、町の衣裳屋の女房で張(ちよう)十五娘(じよう)という女が、綺麗な肌をした美人で、思いをかけていたところだったので、任氏にその女を知っているかとたずねると、
「あの人はわたしの従妹ですから、おとりもちするのはわけありません」
 といった。果して十日あまりたつと、任氏はその女を崟にとりもって話をまとめたが、崟は五、六ヵ月たつとその女が鼻について来て、別れてしまった。すると任氏は、
「町の人はおとりもちしやすくて、とりもち甲斐(がい)がありません。もし箱入り娘で、どうにも手をつけるきっかけがないというような人がありましたら、おっしゃってみてください。腕をふるって何とかいたしますから」
 といった。そこで崟が、
「昨日は寒食(かんじき)(清明節の二日前。この日は火を絶って、煮炊きしないものを食べる)で、二、三人の友達と千福寺へ行ったところ、ちょうど〓緬(ちようめん)将軍が本堂で音楽を奉納していたが、その中に笙(しよう)の上手な娘がいてね。年は十五、六で、すばらしく色気のある女だった。うっとりと眺めていたんだが、あの女を知っているかね」
 というと、任氏はうなずいて、
「あの女は将軍のお手がついている女中ですが、あの子の母親はわたしの従姉ですから、何とかしてみましょう」
 といった。
 任氏はそれから〓(ちよう)家に出入りするようになった。一と月あまりたって崟が催促をすると、任氏は、
「進物にする絹を二反くださいませんか」
 といった。崟は上等の絹を二反、任氏に渡した。それから二日たったとき、崟が任氏と食事をしていると、〓緬が、召使に黒い馬を引かせて任氏を迎えによこした。任氏は下女から、〓家から迎えの者が来たと聞くと、崟にむかって笑いながら、
「うまくいったようですわ」
 といった。
 任氏はまず、〓緬将軍が籠愛しているあの女中を病気にかからせたのだった。女中には鍼(はり)も薬も、少しも効(き)かなかった。将軍も女中の母親も心配のあまり、巫女(み こ)を呼んで占ってもらおうとした。そこで任氏はそっと巫女に賄賂(まいない)を贈って、自分の家を教えこみ、そこへ移れば方角がよいといわせるように仕向けたのである。
 巫女は〓家に呼ばれると、病人を見ていった。
「この家にいてはよくありません。ここから東南の方角に、大きな木が屋根ごしに枝を張っている家があるはずです。そこへお移りになれば生気をとりもどすことができます」
 将軍と女中の母親が巫女のいった家を調べてみたところ、それは任氏の家だった。そこで将軍は任氏に、部屋を貸してほしいとたのんだ。そのとき任氏は、わざと、
「狭いので、お貸しするわけにはまいりません」
 とことわったのである。何度たのまれてもそういいつづけた。
 〓家から迎えの者が来たのはそのあとだったのである。そのとき任氏は、はじめて承知した。
 〓家では女中の身のまわりの物を車に積み、その母親をつき添わせて女中を任氏の家に送って来た。女中は任氏の家に着くと、たちまち病気はなおってしまった。
 それから二、三日たったとき、任氏はそっと崟を手引きして女と通じさせたのである。崟と女とはそれから二た月ほど逢う瀬を楽しみあったが、やがて女が孕(みごも)ったらしいことがわかると、母親はあわてだし、急いで女を〓家へつれ帰ってしまった。
 それ以後、崟はもうその女と会うことはできなくなってしまったが、任氏が、
「もういちど何とかしましょうか」
 というと、
「いや、もう堪能(たんのう)させてもらったよ」
 といった。
 その後、任氏は鄭にこんなことをいいだした。
「お金を五、六千都合してくださったら、あなたにうんとお金もうけをさせてあげることができるのですけど……」
「よし。なんとかしよう」
 鄭があちこちから借り集めて六千の銭をととのえると、任氏は、
「そのお金で馬を買ってください。ただし、股に疵(きず)がある馬です」
 といった。鄭が困って、
「どこへ行ってさがせばいいんだね」
 というと、任氏は、
「いまから市(いち)へいらっしゃれば、手にはいるでしょう。股に疵のある馬を売っている人がいるはずですから」
 といった。鄭が市に行ってみると、果して股に疵のある馬を引いて買い手をさがしている男がいた。鄭はその馬を買って帰った。人々はそれを見て、
「あんな疵ものを買って、どうするつもりなんだろう」
 と笑いあった。
 それからしばらくすると、任氏は鄭に、
「さあ、市へ行って馬をお売りなさい。三万銭くらいにはなるはずですから」
 といった。そこで鄭は売りに行った。すると、二万銭で買おうという者があらわれたが、鄭は売らなかった。それを見ていた人々は、
「あんな疵ものを、二万銭も出して買おうとする者の気も知れないが、売り惜しみする者の気も知れぬ」
 と噂しあったが、鄭は、
「三万でなければ売らぬ」
 といい張って、そのまま馬に乗って帰った。すると買手はあとを追って来て、だんだんと値を上げ、とうとう二万五千まで出そうといった。鄭はそれでも売らずに、
「三万でなければ売らぬ」
 と繰り返したが、物見高い連中が集ってきてがやがやいうので、結局二万五千で手放してしまった。三万にはならなかったが、それでも二万銭ちかくはもうけたのだった。
 後、鄭は任氏にはいわずに、ひそかに買い手の素性(すじよう)をさぐってみたところ、昭応(しようおう)県の小役人だということがわかった。彼が官馬の予備馬として飼育している馬のうち、股に疵のある一頭が三年前に死んだが、彼は飼料(かいば)代をもうけるために帳簿から消さずにおいた。ところが最近、県の官馬の係りが官馬を補充するために馬の評価をするとき、帳簿を見ただけでその馬に六万銭の値をつけたのである。だから鄭から股に疵のある馬を買った小役人は、三万五千をもうけたのだった。それにしても任氏になぜそんなことがわかったのか、鄭は不思議でならなかった。
 任氏はまたあるとき、崟に着物をねだった。
「いいとも、綾絹を買ってあげよう。あなたにふさわしいような上等のを」
 と崟がいうと、任氏は首を振って、
「既製品を買ってください。その方が好きなのです」
 といった。崟はそこで張大という商人を呼んで、任氏に好きな着物を選ばせた。張大は任氏を一目(ひとめ)見るなり、びっくりした様子で崟に耳うちをした。
「この方はきっと、皇族か貴族のお姫さまでしょう? おかくしになってもわかります。おそらく旦那が盗み出していらっしゃったのでしょう。でも、俗世間になじむことのできるようなお方ではありませんから、早くお帰しになって禍(わざわい)を引きおこさないようになさった方がよろしいでしょう」
 任氏の美しさは、張大がそういったほど、見る人の眼をおどろかせたのである。こうして任氏は仕立てた着物を買い、自分で針を持とうとはしなかったが、崟にはそれがなぜだかわからなかった。
 それから一年あまりたったとき、鄭は武官に採用され、槐里(かいり)府の果毅尉(かきい)(地方に置かれた朝廷直属の部隊の隊長)に任ぜられて、しばらく金城県に駐屯することになった。鄭はそのとき任氏をつれて行こうとしたが、任氏は行きたがらず、
「一と月ぐらいお供をしたところで、別に楽しくもありませんわ。暮らしの費用だけ見はからって置いていってくだされば、身をつつしんでお帰りを待っております」
 というのだった。鄭には任氏がなぜ行きたがらないのかわからない。だが、いえばいうほど任氏がいやがるので、崟に助言してくれるように頼んだ。ところが、崟がすすめても任氏は首を横にふるばかりだった。そこで崟が、行きたがらないわけを問いつめると、任氏はしばらくためらった末、
「ある巫女が、今年は西の方へ行ってはいけないというのです。それで行きたくないのです」
 といった。鄭はそれを聞くと、むしろほっとして、
「なんだ、そんなことだったのか」
 と笑った。崟も、
「あなたのようなかしこい人が、そんな迷信に惑わされるなんて」
 といって、同行するようにすすめた。すると任氏は、
「もし巫女のいったことが当(あた)ったら、わたしは死んでしまうのですよ。それでも行けとおっしゃるのですか」
 といった。
「そんなことがあるものか。わたしがしっかり護って行くから。わたしを信じてくれよ」
 鄭がそういって、またしきりに頼むと、任氏は、
「そんなにおっしゃるのなら」
 といって、とうとう同行することを承知した。
 崟は任氏に自分の馬を貸してやり、長安の西の臨皐(りんこう)駅まで見送りに行って、別れた。
 長安をたってから三日目に、鄭の一行は馬嵬(ばかい)にさしかかった。任氏は馬に乗って先に立ち、鄭は驢馬でそのあとにつき、女中は別の、これも崟の貸してくれた馬に乗ってそのあとについていた。ところがそのとき、西門の猟場役人が洛川(らくせん)で猟犬の訓練をしていた。一行はそれに出会ったのである。鄭は草むらの中から黒犬が飛び出して来るのを見た。同時に任氏が馬からころげ落ち、狐の正体にかえって南の方へ駆けて行くのが見えた。黒犬がそれを追いかけている。鄭はあわててそのあとを追ったが、驢馬の足では追いつけず、一里ほど行ったところで狐は犬に飛びかかられ、噛み殺されてしまった。
 鄭は泣く泣く猟場役人に頼んで狐の死骸を買い取り、その場に埋めてやって、木を削って目じるしをつけた。任氏が乗っていた馬のところへ引き返してみると、馬はそこで草を食っていたが、任氏が着ていた衣裳は全部鞍の上に残っており、靴や靴下も鐙(あぶみ)にひっかかっていて、髪かざりだけが地面に落ちていた。女中もどこへ消えてしまったのか、馬だけが残っていた。
 十日あまりたって、鄭は長安に帰って来た。崟がよろこんで出迎え、
「任さんは無事かね」
 ときくと、鄭は涙を流して、
「死んでしまったよ」
 といった。崟がおどろいて、
「なんでだ」
 ときくと、鄭は声をあげて泣きながら、
「犬に食い殺されたのだ」
 といった。
「いくら犬が強くても、人間を食い殺せるわけはなかろう」
「いや、あれは人間ではなかったのだ」
「ばかなことをいうな。人間でなければ、なんだったというんだ」
 そこで鄭ははじめて崟に、一部始終を話した。翌日、崟は馬車を用意し、鄭といっしょに馬嵬へ行き、塚を掘りおこして遺骸を見、あらためて鄭重に葬ってから家に帰った。これまでの任氏とのことをいちいち思い返してみたが、ただ着物を自分で縫おうとしなかったことだけが普通の人間とは少しちがっていただけであって、その他の点では、ちがったところはなにもなかった。たぐいまれな美貌だったということのほかには——。
 その後、鄭は総監使(宮中の下役人を監督する官)に任ぜられ、家も豊かになって、馬を十数頭も飼う身分になった。そして、六十五歳で死んだ。
 
 大暦年間、私は山東の鍾陵(しようりよう)に住んでいて、崟と親しくつきあったことがある。崟は私に何度もこの話をしてくれたので、かなり細かいことまで知ったのである。その後、崟は殿中侍御史(じぎよし)に任ぜられ、隴州(ろうしゆう)の刺史を兼ねて、任地で死んだ。
 ああ、異類(動物)の心にも人間の心と少しも変わらないものが備わっているのである。暴力に遭っても節操を守りとおし、夫のいいつけに従って命を投げ出すとは、人間の女性でも及ばぬところであろう。惜しむらくは、鄭が教養の深い男でなかったために、ただ任氏の容色に心を奪われて、その情愛の深さを究めようとはしなかったことである。もし彼が教養の深い男だったならば、物の変化の道理を究め、神と人との関係を察し、それを美しい文章としてあらわし、情愛の奥妙(おうみよう)を世に伝えて、ただその容色を愛(め)でるだけにはとどまらなかったであろう。まことに残念なことである。
 建中二年、私は左拾遺(さしゆうい)の官から、金吾(きんご)将軍の裴冀(はいき)、京兆少尹(けいちようしよういん)の孫成(そんせい)、戸部郎中(こぶろうちゆう)の崔需(さいじゆ)、右拾遺(ゆうしゆうい)の陸淳(りくじゆん)らといっしょに東南の地へ流されることになり、陝西(せんせい)から浙江(せつこう)へ行く間(かん)、水陸の旅をともにしたが、そのとき前(さき)の拾遺の朱放(しゆほう)も旅に出ていて、私たちといっしょになった。そして穎水(えいすい)から淮河(わいが)へと流れのままに船を進めながら、夜昼となく酒盛りをして互いに珍らしい話を語りあったが、同行の人々は私の語る任氏の話にみな深く感動し、私にその物語を書き伝えるようすすめてやまなかったので、ここにその不思議を書きとめたのである。沈既済(しんきせい)これをしるす。
唐、沈既済『任氏伝』 
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