左(さ)慈(じ)は廬(ろ)江(こう)の人である。若いときから神通力があった。
あるとき曹(そう)公(こう)の家の宴会に招かれていったが、曹公が、
「今日は山海の珍味をとりそろえた。ないのは松(しよう)江(こう)の鱸(すずき)のなますだけだ」
というと、左慈は、
「松江の鱸くらいなら、わけなく手にはいります」
といった。曹公がききとがめて、
「それなら、すぐ取りよせてみよ」
というと、左慈は大きな銅盤に水をみたし、竹竿に糸と鉤(はり)をつけて、盤の中へ垂らした。そしてまもなく一匹の鱸を釣り上げた。曹公も列席の者もみなおどろいておのれの眼を疑ったが、それはまぎれもなく、三尺あまりの大きさの、ぴちぴちとした鱸であった。
「一匹ではみんなにゆきわたらぬ。もう一匹あるとよいのだが……」
と曹公がいうと、左慈はまた糸を垂れて、前と同じ大きさの鱸を釣り上げた。
曹公は自分でなますを作りながら、
「これに、蜀(しよく)の生(しよう)薑(が)があるとよいのだがな」
といった。すると左慈は、
「それも、すぐ手にはいります」
という。曹公は左慈がこの土地の生薑でごまかすのではないかと思って、
「鱸を盤の中から釣り上げたように、そのあたりの地面から掘り出すのか」
といった。左慈は笑って、
「いいえ、蜀へいって買ってまいります」
という。
「そんなことができるわけはない。蜀へ往復するには急いでも一年はかかるのに」
「それは、普通の者ならということでございましょう」
「ふむ。それで、お前が買いにいくというのか」
「いいえ、使いの者をやります」
「それなら、使いの者にことづてをたのむ。わたしの部下がいま蜀へ錦を買いにいっているから、その部下に会って、もう二反(たん)買い足すようにいいつけてくれとな」
「承知いたしました」
左慈はその旨をいいふくめて使いの者を出した。その者は出ていったと思うとすぐ帰ってきて、生薑をさし出し、そして、
「蜀で錦を売る店をさがしましたところ、閣下の部下の方にお会いすることができましたので、お言葉どおりに、もう二反買い足すようにと伝えておきました」
といった。
それから一年あまりたったとき、錦を買いにいった曹公の部下が蜀から帰ってきたが、はたして、はじめにいいつけたよりも二反多く買ってきた。わけをたずねると、
「一年あまり前、錦を売る店で出会った人が、閣下のおいいつけだといって、二反多く買うようにといいましたので」
と、そのときの様子を話した。
曹公は左慈の神通力をおそれだした。その後、曹公が百人あまりの部下をつれて郊外へ遊(ゆ)山(さん)に出かけたとき、左慈は一壺の酒と一切れの肉を持ってついてゆき、自分で酒をついでまわり、肉をすすめて、百人の部下たちみんなを堪(たん)能(のう)させた。曹公はそれを見てあやしみ、部下を町の酒屋へやって調べさせたところ、どこの酒屋でもみな、昨夜のうちに、店にあった酒と肉がすっかりなくなっていたという。
曹公はますます左慈をおそれるようになり、おりを見て左慈を殺してしまおうと考えた。だが、なかなかその機会がない。あるとき左慈を家に招き、いきなり逮捕しようとしたところ、左慈はぱっと壁の中に逃げこんで、そのまま姿を消してしまった。そこで銭一千の懸賞をかけて左慈をさがさせた。
その後、ある人が町の人ごみの中で左慈を見つけ、捕えようとしたところ、町じゅうの人がみな左慈と同じ姿になってしまって、どれが本物か見わけがつかなくなってしまった。
その後また、陽城山のあたりで左慈を見かけたという知らせがあったので、曹公が部下に追いかけさせたところ、左慈は羊の群の中へ逃げこんで、見分けられなくなってしまった。曹公はそこで部下に、羊の群にむかってこういわせた。
「曹公はあなたを殺そうと思っておられるのではない。あなたの術を試そうとされただけだ。あなたの術がいかにすぐれたものであるかはもうよくわかったから、どうか姿をあらわされたい」
すると羊の群の中の一頭の年とった牡羊が、前足を折り曲げて人間のように立ちあがりながら、
「なにをあくせくなさる」
といった。曹公の部下たちはそれを見ると、
「あの羊だ!」
と、われがちにその羊を目がけて駆け寄ろうとしたところ、数百頭の羊がみなその羊と同じ羊になり、同じ恰(かつ)好(こう)をして、
「なにをあくせくなさる」
といった。曹公の部下たちはどの羊を捕えたらよいのかわからなくなって、むなしく引き返したという。
『老子』にこういう言葉がある。
「吾(われ)に大いなる患(うれい)ある所以(ゆえん)のものは、吾に身あるが為なり。吾に身なきに及べば、吾に何の患かあらん」
老子のような人たちは、自分の肉体をなくすることができたのであろう。左慈もそれに近かったのではなかろうか。
六朝『捜神記』