河南の南(なん)頓(とん)県に、張(ちよう)助(じよ)という百姓がいた。
ある日、畑で働いているとき、李(すもも)の種を見つけた。どうしてこんなところに李の種が落ちているのだろう、と不審に思い、手に取って見たが格別かわった種でもない。誰かが投げ捨てたのだろうと思ってまた捨てたが、やはり気になった。ふとふり向くと、道端の古い桑の木の根もとに洞(うろ)があって、中に土がたまっていたので、また種を拾ってそこへ埋め、水をかけておいた。
翌年、人々は桑の木の洞から李が生えているのを見て不思議に思い、つぎからつぎへと噂(うわさ)しあった。張助はそれをきいて、なんの不思議があるものか、おれが植えたんだ、と思ったが、黙っていた。
李の木はだんだん大きくなった。ある日、目の痛む男がその木かげで休みながら、
「李(り)君(くん)よ、おれの目の痛みをなおしてくれたら、お礼に豚を一匹あげるよ」
といったところ、急に目の痛みがやわらぎ、数日たつとすっかりなおってしまった。その男が李の木に豚を供えたことから、噂が広がって、遠くの村からも願(がん)をかけにくる者があり、願いごとのかなった人が祠(ほこら)を立てたり、供物の台を設けたりして、李の木の下にはいつも大勢の人があつまり、道端には物売りが並ぶありさまであった。
張助はそれを見てばかばかしくてならなかった。ある日、大勢の人々があつまっているところへいって、
「この木はおれが植えたんだ。神木なんかじゃない」
といってまわったが、誰も相手にしない。張助がなおもいいたてていると、一人の男がおしとめて、
「そんなことをいうと神罰があたるぞ。ほら、もうあたっているじゃないか」
と、張助の顔を指さした。張助の口のわきには数日前から疔(ちよう)ができていて、痛くてならなかったのである。
「これが神木なら、おれのこの疔もなおせるはずだ」
と張助がいうと、その男は、
「願をかけたらな」
といった。そこで張助はみんなのするように李の木の前にぬかずいて、
「この疔をなおしてくださったら、お礼に酒一升さしあげます」
といってみた。と、急に疔の痛みがやわらいだ。張助は半信半疑で家へ帰ったが、二、三日たつと疔がすっかりなおってしまったので、びっくりして、酒一升を供えたという。
六朝『捜神記』