揚州の六合県に、張(ちよう)老(ろう)という独(ひと)りぐらしの百姓の老人がいた。
近所に韋(い)恕(じよ)という人の家があった。韋恕は揚州府の役人だったが、その任期が満ちて帰ってきた。韋恕には年頃の娘がいたので、村の仲人婆を呼んで、よい婿(むこ)をさがしてくれとたのんだ。
張老はそれをきくと、韋家の門前へいって仲人婆が出てくるのを待ちうけ、無理やりに自分の家へつれていって、酒をふるまった。そして、酒がまわったところでいいだした。
「韋さんの家には娘さんがいて、よい婿をさがしているということだが、ほんとうかね」
「ほんとうだよ」
と婆がいうと、張老は身を乗りだして、
「その娘さんをわしに世話してくれないかね」
といった。
「誰の嫁に?」
と婆がきくと、張老は真(ま)顔(がお)で、
「わしの嫁にだよ。わしは年は取っているが、くらしには不自由はない。なんとか縁談をまとめてほしいのだ。まとまったらお礼は十分にするよ」
仲人婆はあきれて、
「おまえさん、正気かね。老いぼれの百姓じじいが、お役人の若い娘さんをもらえるとでも思っているのかね」
と、さんざん悪態をついて帰っていった。
ところが、張老は翌日もまた、仲人婆を家に呼んでたのんだ。
「どうして身のほどがわからないのかねえ」
と仲人婆はますますあきれていった。
「お役人の娘さんが、百姓のじいさんのところへ嫁にくるはずがないじゃないか。あの家はたしかに貧乏だけど、家には家、人には人の釣りあいというものがあるよ。おまえさんでは釣りあわないじゃないか。おまえさんに酒を一杯ふるまわれたからといって、韋さんに大恥をかかされては、わたしはやりきれんよ」
「そこを我(が)慢(まん)して、ひとこと話してみてもらえないかねえ。ことわられたら、縁がなかったと思ってあきらめるよ」
張老はそういってきかない。仲人婆は酒を飲まされた手前、仕方なく、韋恕にどなられるのを覚悟で話してみた。果して韋恕は腹をたてて、
「おまえは、わしが貧乏だからといって馬鹿にするのだな。役人の家が、娘を百姓のじじいになどやれるか。いったい、そんな大それたことをいいだした百姓じじいは、どんなやつだ。いや、百姓じじいをとがめるにはあたらぬ。なんの分別もないやつだろうから。それをとりつぐおまえのほうが、けしからん」
仲人婆は恐縮して、
「おっしゃるとおりでございます。百姓じじいに無理やりにたのまれまして、おとりつぎしなければならない羽目になってしまいましたので……」
「その百姓じじいにいってやれ。きょうのうちに五百貫の銭を持ってきたらききとどけてやるとな」
「そんな大金が用意できるはずはありません」
「それだからいっているのだ」
仲人婆が張老の家へいってその話をすると、張老はそれであきらめるとは思いのほか、
「銭五百貫か。承知した」
といって、仲人婆をびっくりさせた。
「おまえさん、そんな大金がどこにあるのだね」
「金なんてものは、あるところにはあるものさ」
「おまえさん、どこかから盗んでこようとでもいうのかね」
「まさか」
「まさかねえ」
仲人婆はそういって笑いながら帰っていったが、それからまもなく、張老は銭五百貫の結(ゆい)納(のう)を車に積んで、韋恕の家へとどけた。韋恕はおどろき、親(しん)戚(せき)の者を呼び集めて相談をした。
「あのじいさんは百姓をしているだけなのに、どうしてこんな大金が出せたのだろう。ないにちがいないと思っていったのに、すぐさま銭がとどいたとあっては、どうしたらよかろう」
まず、娘の意向をきいてみようということになって、親戚の代表の者が娘にたずねてみたところ、娘はおどろく様子もなく、悲しむ様子もなく、
「それも運命でしょう」
といった。そこで、ついに張老のところへ嫁にやることにきまった。
張老は韋恕の娘を娶(めと)ってからも、これまでと同じように肥桶をかつぎ、畑を耕し、野菜を売り歩いた。妻も自分で炊事をし、洗濯をして、すこしも恥かしそうな様子もない。親戚の者はみないやな顔をしていたが、やめさせるわけにもいかないのだった。
「あれでは、親戚の恥さらしだ」
親戚の者はそういって韋恕にすすめた。
「娘を見捨ててしまったのなら、いっそのこと遠い土地へ追いはらってしまったらどうかね」
そういわれた韋恕は、ある日、酒席を設けて娘と張老を招き、酔いがまわったところで、それとなく親戚の者たちのいったことをにおわせた。すると張老は、
「わたしは、お嬢さんをいただいたら、すぐこの土地をはなれるつもりだったのですが、父上がお心残りではないかと思って、ここにとどまっていたのです。しかし、もう大分たちましたから、出ていってもよいでしょう。わたしは王(おう)屋(おく)山の麓に小さな家を持っておりますので、明朝、そちらへ帰ります」
といった。そして翌朝、日の出のころ、韋恕に別れの挨(あい)拶(さつ)をしにきて、
「年がたって、もしわたしたちのことをなつかしく思ってくださることがあれば、兄上に天(てん)壇(だん)山の南までお訪ねくださいますよう」
といい残し、妻を驢(ろ)馬(ば)にのせて、笠をかぶらせ、自分は杖をついてあとにつき、そのまま立ち去っていった。
数年たって、韋恕は娘の顔が見たくなった。どんなくらしをしているのだろうと思い、まず息子の義方に様子を見にいかせることにした。
義方が天壇山の麓までいくと、一人の崑(こん)崙(ろん)奴(ど)(黒人の奴隷)が牛をつかって田を耕していたので、
「このあたりに張老という人の家はないかね」
ときくと、崑崙奴はうやうやしく一礼して、
「これはこれは、韋家の若旦那さまでございますか。お待ちしておりました。お屋敷はすぐ近くでございます。ご案内いたします」
といい、さきにたって東の方へ歩きだした。
山を越えると、麓には清らかな川が流れていた。また山を越え、川を渡り、十数回もそれをくりかえして進んでいくにつれて、景色は次第に俗界とはちがっていった。やがて急な下り坂にさしかかると、川の北側に朱塗りの屋敷が見えた。楼閣が建ち並び、花をつけた木が生い茂って、五彩の霧がたちこめるなかを、鳳(ほう)凰(おう)や鶴や孔(く)雀(じやく)が飛びかい、管絃のひびきがきこえてきた。崑崙奴は指さして、
「あれが張家の荘園でございます」
といった。義方は思いのほかのことに茫然としながら、やがて荘園の門までいくと、紫衣を着た門番がいて、ていねいに挨拶をして奥へ案内した。家具調度の見事なこと、いままでに見たことのないものばかりである。ますます茫然としていると、珠(たま)の鳴る音がして三人の腰元があらわれ、
「韋家の若旦那さま、いらっしゃいませ」
と挨拶をした。それにつづいて十数人の腰元が出てきた。みな絶世の美人である。腰元たちが左右に並ぶと、戸口に、赤い絹の衣裳をまとい、朱塗りの靴をはき、遠(えん)遊(ゆう)の冠(かんむり)をいただいた貴人があらわれて、しずしずとはいってきた。若々しい容貌の美丈夫であったが、よく見ればそれが張老だった。義方がなにかいおうとして口をもぐもぐさせていると、張老がいった。
「人の世は苦労が多く、火の中にいるようなものです。身中を涼しくしきらぬうちに、憂いの焔が、また燃えあがってきて、すこしも休まる時がありません。兄上も久しく人の世に住んでおられて、ご苦労の多いことでしょう。妻はいま髪をなおしておりますので、しばらくお待ちください」
そして義方を席につかせると、まもなく、一人の腰元がきて、
「奥さまのお髪(ぐし)なおしがすみました」
といった。すると張老は立ちあがって、義方を別の建物へ案内した。その建物は、梁(はり)は沈香、扉には玳(たい)瑁(まい)を貼り、窓には碧玉をちりばめ、階(きざはし)には真珠が敷きつめてあった。義方の妹は天女と見まごうばかり、兄にひととおりの挨拶を述べると、父母の安否をたずねただけで、あとは冷やかな態度に見えた。
まもなく食事が出たが、そのかぐわしく美味なこと、なににもたとえようがない。食事がおわると、腰元が義方を別の間へ案内して泊らせた。
翌日の朝、義方が張老と対坐していると、腰元がきてなにか張老に耳うちした。張老はうなずいてから、義方にむかっていった。
「わたしの妹が蓬(ほう)莱(らい)山へ遊びにいきたいといいますので、妻といっしょについてゆきます。日が暮れないうちにもどってきますから、しばらくここでお待ちくださいますよう」
張老が出ていくとまもなく、庭に五彩の雲がわきあがり、鳳凰が飛びたち、管絃の調べがおこるなかを、張老とその妹とその妻とがそれぞれ鳳(おおとり)に乗り、十数人の、鶴に乗った侍女や従者たちをしたがえて、次第に高くのぼったと見るうちに、東をさして飛んでいった。
あとに残った義方が、若い腰元にまめまめしく世話されているうちに、やがて日暮れどきになると、また笙(しよう)や笛の音がきこえてきて、張老たちが帰ってきた。張老と妻は庭へおりると、義方にいった。
「おひとりで淋しかったでしょう。しかしここは、神仙の住むところで、俗人のこられるところではないのです。兄上は宿命があってここまでこられたのですが、いつまでも逗留していただくわけにはいきません。明日はお別れいたしましょう」
翌日、義方が出発するとき、妹は出てきて別れの挨拶をしたが、ただ、父母によろしくというだけであった。張老は義方に黄金二十両を贈り、さらに籐(とう)で編んだ古い帽子を一つわたして、
「もし、手もとが不(ふ)如(によ)意(い)におなりのときには、揚州の北市で薬を売っている王老のところへいって、これをお見せください。そうすれば一千万の銭をくれますから」
といった。そして前の崑崙奴に天壇山まで見送らせた。
義方は金を背負い、籐の古帽子を持って家に帰ると、家族の者に一部始終を話した。家族の者はそれをきくと、張老は神仙だったのかとおどろく者もあれば、いやあれは妖術つかいだとおそれる者もあった。
それから数年たったとき、韋家では金をつかいはたしてしまって、くらしがたたなくなった。そこで王老をさがして金をもらいにいこうということになったが、
「一千万もの銭を受けとるのに、帽子がしるしだなんてでたらめだよ」
という者もあったが、なにしろ貧乏のどん底だったので、
「金がもらえなくても、もともとだ。とにかくいってみることだ」
と家族にせきたてられて、義方は旅に出た。
揚州に着き、北市へいってさがすと、王老が薬を売っている店はすぐわかった。義方が帽子を見せて、
「張老から、こちらで一千万の銭を受けとるようにいわれてきたのですが」
というと、王老は、
「どれどれ、お見せ」
と、その帽子を受けとって調べだした。すると、奥から若い娘が出てきて、
「わたしが見ましょう。この前、張老さまがおいでになったとき、わたし、てっぺんの破れたところを紅色でつくろってあげたから、見ればすぐわかります」
といった。王老が帽子を娘にわたすと、娘は見て、
「確かに張老さまのものです」
といった。王老はすぐ、銭一千万を車に積んで、義方に、
「車ごと持っていくがいい」
といった。
韋家の人たちは義方が車をひいて帰ったときはじめて、張老はほんとうに神仙だったことをさとった。
その後、家族の者はまた娘のことを案じて、もういちど義方を天壇山の南の麓へいかせた。ところが、いって見ると、ただ山や川が幾重にもいりくんでいるばかりで、どこにも道らしい道がない。ときたまゆきあう樵夫(きこり)にきいてみても、張老などという名はきいたこともないし、ここからさきには家なんかない、という。義方は仕方なく帰った。家族の者は、仙界と俗界とは交通が絶えているのだから二度と会える機会はないのだとあきらめ、こんどは揚州の北市へ王老をさがしにやらせたが、王老もどこかへ立ち去っていた。
それからまた数年たって、義方が揚州の町へ出かけて北市を歩いていると、張老の屋敷に仕えていた崑崙奴がひょっこりあらわれて、
「おや、韋家の若旦那さまじゃありませんか。お宅のみなさんにはお変りないようで結構なことでございます」
といった。
「どうしてわかるのです」
と義方がききかえすと、
「お嬢さまはお里へお帰りになることはできませんが、いつもみなさんのおそばにおいでになるのと同じことで、お宅のなかの出来事は大小残らずみんなわかっているのです」
といい、
「じつは、若旦那さまがこんど揚州にお見えになることもわかっていましたので、お嬢さまのおいいつけで、出てきたのです。これを若旦那さまにおわたしするように、といわれまして」
と、ふところから十斤の黄金をとり出してわたし、
「主人もいま、こちらへきております」
といった。
「え? 張老さんが! ぜひお目にかかりたい。どこにおられるのです」
と義方がいうと、
「そこの居酒屋で、王老さまと飲んでいらっしゃいます」
という。
「王老さんもか。一目お会いして、お礼を申しあげたいのだが、会わせてくださらんか」
「承知いたしました。しばらくここで、お待ちになっていてください。わたしが居酒屋へいって、お知らせしてきますから」
崑崙奴はそういって店のなかへはいっていった。義方は腰をおろして待っていたが、崑崙奴はなかなか出てこない。やがて日が暮れてきたが、しかし、崑崙奴は出てこなかった。
義方はしびれを切らし、思い切って居酒屋へはいってみた。と、なかは客がいっぱいたてこんでいたが、張老の姿も王老の姿も見えず、崑崙奴も見あたらない。
これはいったいどうしたことだろうと思い、さきほど崑崙奴にわたされた黄金をとり出して、そっと調べてみると、それはまごうかたなくほんものの黄金であった。義方は驚歎しながら家に帰ったが、張老たちの消息はそれきりわからなくなってしまった。
唐『続玄怪録』