洛陽に張大という人がいた。代々役人の家柄で、張大も役人になるつもりで学問をしていたけれども、学問よりも彫刻の方が好きで、それに熱中していた。
あるとき、隣りの町へいく途中、山道で大きな槐(えんじゆ)の木を見かけた。根もとに、五、六斗入りの水(みず)甕(がめ)ほどもある大きな瘤(こぶ)が四つついている。張大はそれを取りたいと思ったが、一人ではどうにもならないので、帰ってから人夫を雇って切り取らせようと心にきめた。しかし、誰かが先に取ってしまわないとは限らない。思案した末、荷物の中から紙を二、三枚取り出し、細く割(さ)いて紙(し)銭(せん)を作って、瘤に掛けた。こうしておけば村の人々は神木だと思って瘤を取らないだろう、と考えたのである。
それから数ヵ月たって帰途につくとき、張大は槐の木の瘤を取るために斧(おの)や鋸(のこぎり)などを買いととのえ、人夫を数人雇っていっしょに帰った。やがて山道へ入り、槐の木のところまで来て見ると、槐にはたくさん紙銭が掛けてあって、前には焼香する台までできている。張大はそれを見て笑いながら、
「村のやつら、うまく引っかかりよったわい」
といい、人夫たちにわけを話して、さっそく瘤を取りにかからせた。人夫たちが斧や鋸を取りあげたとたん、
「切ってはならぬ!」
という声がきこえ、紫の着物をまとった神が姿をあらわして、
「この木が神木であることがわからぬか」
といった。張大は進み出て、
「それは神さまのお考えちがいです。どうかおききください」
と、瘤が欲しい一心でいいたてた。すると神は、
「神が考えちがいをするわけはないが、いいたいことがあるならいってみるがよい」
といった。
「はい。わたくしは前にここを通りまして、槐の木の瘤を見つけて取りたいと思ったのですが、その用意をしておりませんので、人に取られないようにと考えて、かりに紙銭を作って瘤に掛けておいたのです」
「そのとおりだ」
「それですから、この槐の木は、神木でも何でもないのです」
「ところが、今は神木なのだ」
「どうしてでございますか」
「そなたが紙銭を掛けたために、村人が神木だといいだして祈願をこめるようになったので、神界でもそのままにしておくわけにはいかなくなり、わしがその祭りを受ける職務を命ぜられてこの木をあずかることになったのだ。従って今では神木であるぞ。それでもなお切ろうとするならば、そなたにも人夫にも災難が降りかかるぞ」
「木を伐り倒してしまおうというのではありません。瘤が欲しいのです」
「なぜそんなに瘤を欲しがるのだ」
「彫刻をして台を作りたいのです」
「台を作ってどうするのだ」
「人に売ります」
「それなら、台ができたことにして、わしが買い取ろう。いくら欲しいか」
「百貫文いただきとうございます」
「百貫文か。ちょうど奉納の絹が百疋ある。ここから半里いったところに、崩れた塚がある。絹はその中にいれてあるから、それを持っていくがよい。もし見つからぬときや、不満があるときは、またここで会おう」
そういって、神は姿を消した。張大がいわれたとおりに行ってみると、はたして崩れた塚があり、中に絹がはいっていた。数はちょうど百疋あった。
唐『原化記』