成弼金
隋(ずい)の末ごろ、一人の道士が太白山にこもって、丹(たん)砂(しや)を錬って仙薬を作りあげ、道術を会得して数十年間も山の中に住んでいた。
成(せい)弼(ひつ)という者がそばに仕えて雑用をしていたが、道士は十年あまりも生活をともにしながら、いっこうに成弼に道術を教えようとはしなかった。やがて成弼は家に不幸があったので、道士に別れて帰ろうとした。すると道士は、
「そなたは十年あまりもわたしに仕えてくれたので、お礼にこの仙薬を十粒進ぜよう。一粒を赤銅十斤に合わせれば、上質の黄金になる。これだけあれば葬儀の費用と、あとのくらしにはこと欠くまい」
といって仙薬十粒を渡した。
成弼は家に帰ってから、道士のいったとおりにして黄金を作った。それは上質の金で、葬儀の費用に十分間(ま)にあったばかりか、生涯くらしていけるだけの額になった。
ところが、葬儀をすませると成弼はよからぬ心をおこし、また太白山に登って道士に会い、
「もっと仙薬をください」
とたのんだ。すると道士は、
「わしは仙薬を惜しむのではない。お前には仙薬は身をほろぼすもとになる。だからやらぬ」
といって承知しない。成弼はかくし持ってきた刀を突きつけておどしたが、道士は泰然としていて、承知しない。成弼は怒って道士の両手を斬(き)り落としたが、道士はやはり泰然としていて、承知しない。さらに、両足を斬ったが同じであった。成弼はますます怒って、ついに首を斬り落とし、そして着物を剥いで調べてみたところ、肘(ひじ)のうしろに赤い袋が結びつけてあって、そこに仙薬が入れてあった。
成弼が仙薬を懐にしまって山を下りていくと、不意に自分を呼ぶ道士の声がきこえた。驚いてふりかえると道士は、
「お前があんなことまでやるとは思わなかった。お前には仙薬を使うだけの徳はないのだ。必ず神罰を受けて、わしにしたのと同じ目にあわされるぞ」
といって、姿を消した。
成弼はたくさんの仙薬を手に入れたので、黄金をたくさん作って豊かにくらすようになった。すると不正をはたらいていると密告した者があって、役人に逮捕されたが、成弼は錬金術を会得しているからであって、不正によって得た金ではないといい張った。
それが天子の耳にはいり、成弼は都へ召し出されて、勅命によって黄金を作らされた。天子は、その黄金を見てよろこび、成弼に官爵を授けて黄金を作る係に任命した。成弼は数万斤の黄金を作ったが、やがて仙薬がなくなってしまった。そこで、術が尽きてしまったので家に帰りたいと願い出た。
すると天子は、錬金の処方を申し立てるよう命じた。成弼がじつはかくかくの次第で知らないと報告すると、天子は成弼がかくしているものと思い、刀でおどした。しかし成弼が知らないというと、天子は怒って武官にその両手を斬らせた。それでもいわないので、両脚を斬らせた。しかしいわない。天子はますます怒って、ついに成弼の首を斬らせた。道士がいったとおりになったのである。
このとき成弼が作った黄金は、成弼金あるいは大唐金といわれ、類のない上質の金として、今日この金を持っている者は宝物として珍重している。
唐『広異記』