西州の臨(りん)功(こう)に、韋(い)子(し)威(い)という人がいた。西州採訪使の韋行式の甥(おい)で、年はまだ二十前だったが、頭がよく人がらもよく、いつも道術の書に読みふけって、神仙にあこがれていた。
韋行式の配下で雑役をしている兵卒に、丁(てい)約(やく)という者がいた。まじめな働き者で、子威のためにもよく尽くしてくれたので、子威も、なにかと目をかけてやっていた。
ところが、ある日、丁約が急に、
「よそへ行こうと思います」
といいだした。子威が、
「どうしたのだ。なにかまずいことでもあったのか。もしそうなら、わたしがなんとかしてあげよう。いったい、どうしたのだ」
ときくと、
「いいえ、なにもまずいことをしたわけではありません。ただ、どうしても行かなければなりませんので」
という。子威がさらに、
「軍籍にある者が勝手によその地へ行くことのできないことぐらいは、お前も知っているだろう。たとえうまく抜け出しても、必ず捕えられて厳罰になるぞ」
というと、
「いいえ、わたしにはそういう心配はございません。わたしは、じつは俗界の者ではなく、ただ、まだ俗界のきずなに身が引きとめられているだけの者ですから——。二年間おそばに勤めさせていただきましたお礼に、これをさし上げたいと思います。これは不死の薬ほどの効能を持つものではありませんが、人の定められた寿命の限りのうちでは効能のある薬です」
といい、粟(あわ)粒(つぶ)ほどの薬を一つ、子威にさし出した。子威は茫然とそれを受けとりながら、
「お前が、いや、あなたが……、ほんとうに、仙人なのか。わたしのあこがれている仙人だったのですか」
といった。すると丁約はうなずいて、
「あなたが道術への志があつく、人の目のとどかぬところでもよく身をつつしんでおられることは知っております。あなたもいずれは俗界からぬけ出られるでしょう。しかしそれは、まだ二塵(じん)さきのことです」
「二塵というのは、なんのことです?」
「儒家では世、仏家では劫(ごう)、道家では塵といいます。では、五十年後に都の近くでお会いすることになりますが、それまで、どうぞ道心堅固になさいますよう」
そういうと、一礼して出て行った。
子威は夢を見ているような思いだった。丁約が出ていってから、はっと夢からさめたような気がし、急いで外へ出て見たが、もう丁約の姿はなかった。
その後、子威は科挙に合格し、役人になって各地の県令を歴任した。やがて七十歳になり、髪もひげも鶴の羽のように真白になったが、まだ身体は元気だった。ある日、都へ帰る途中、驪(り)山(ざん)の麓の宿に泊ったところ、しばらくすると表にそうぞうしい声がきこえるので宿の者にわけをきくと、逆賊どもが都へ護送されて行くところだという。表へ出て見ると、首(くび)枷(かせ)をはめられて後ろ手に縛(しば)られた数人の者が、武装した兵士たちに護られて行くところだったが、その中に丁約がいた。五十年前とすこしもかわらず、髪は黒く歯は白く、若者のようだったが、まぎれもなく丁約だった。
子威がおどろいていると、丁約の方でも子威を見つけて、笑いながら声をかけてきた。
「臨功で別れたときのことを、覚えておいでですか。あっというまに五十年がたちましたな。ここでお会いすることになっていたのですよ。次の宿場まで送ってくださいませんか」
子威が護送の兵士たちのあとについて行くと、一行は次の滋(じ)水(すい)の宿場でとまり、罪人たちは首枷をはめられたまま一部屋へおしこめられた。食事を支給する小さい穴が一つあいているだけの牢部屋である。
子威がその穴からのぞいて見ると、丁約は笑って、わけなく首枷をはずし、その小さい穴から抜け出して来て、
「酒でも飲みましょう」
といった。
町の酒(しゆ)楼(ろう)にはいって、向いあって席についてから、二人はあらためて挨拶をかわした。そのあとで子威が、
「あなたには先見の明がおありのはずなのに、どうして謀(む)叛(ほん)に荷(か)担(たん)して捕えられるようなことをなさったのですか」
ときくと、丁約は、
「これも、まだこの身が俗界のきずなに引きとめられているからですよ。五十年前に兵卒をしていたのも、これも、同じことなのです」
「このまま、またお逃げになるのですか」
「いいえ、また牢部屋へもどります」
「それでは、都で死刑を受けるおつもりですか」
「道術には、尸(し)解(かい)・兵解・水解・火解などの、俗界から逃れる方法があります。尸解というのは死んだと見せかけて、埋葬されてから棺をぬけ出すもの、兵解はわざと殺され、水解は水死したと見せかけ、火解は焼死したと見せかけるものです。わたしもようやく、兵解によってこのたび俗界を離脱することができそうです。つきましては、一つお願いがございます」
「なになりと……」
「筆を一本頂戴したいのです」
「お安いご用です」
子威はそういって、書物をいれた袋の中から筆を一本取り出して丁約に渡した。
「これをなににお使いになるのです?」
「いずれ、おわかりになります。わたしが殺されるとき、よくご覧ください」
「明朝、刑場でとくと拝見させていただきます」
「いや、今日の夕方から大雨が降りますから、明日は死刑の執行はとりやめになります。雨は二日間降りつづけてやみますが、そのあと朝廷にちょっとした事故がおこりますから、執行は十九日になります。その日、刑場へ別れに来てください」
子威は丁約といっしょに滋水の宿場へもどった。牢部屋の前まで行くと、丁約は、
「では、十九日をお忘れなく」
といって、また穴から牢の中へはいっていった。
子威は驪山へ引きかえした。はたして夕方から大雨が降りだして、道は脛(すね)までも入ってしまうほどのぬかるみになった。雨は二日たってやんだが、皇族の家に不幸があって三日間政務が停止された。その次の日が丁約のいった死刑執行の日であった。
その日、子威は朝早くから刑場へ行って待っていた。昼ごろ、罪人の市中引きまわしの命令が出て、丁約たちは町を引きまわされた末、刑場へ送られてきた。
丁約は群集の中にすばやく子威を見つけて目くばせをしてから、二、三回うなずいて見せた。子威もうなずきかえした。やがて刑の執行がはじまった。丁約の番になったとき、丁約はまた子威に目くばせをした。
子威はまばたきもせずに、丁約を見つめていた。刑吏が丁約の首に大刀を振りおろしたとき、子威ははっきりと見た。筆の穂と柄とがぱっと二つに分れたのを。
しばらくすると、丁約が子威の傍に来て、
「先日の酒楼へ行ってお別れの杯をかわしましょう」
といった。
酒楼で酒を酌みかわしながら、丁約は子威にいった。
「筆をありがとうございました。あれが見えたということは、あなたの修行がかなり進んでいるしるしです。しかし、やはりまだ二塵、修行なさらないといけません。二塵を経たら、崑(こん)崙(ろん)山の石室の中でお会いできましょう」
酒楼を出ると、丁約は西の方へ歩きだした。子威は見送っていたが、数歩行ったかと思うとその姿は消えてしまった。
唐『広異記』