洛陽の水(すい)陸(りく)庵(あん)に大(たい)楽(がく)上人という僧侶がいた。金持であった。
その隣りに周(しゆう)という下役人が住んでいた。周は貧乏だった。役所の給料では食っていけないので、自分が徴収する租税の一部をいつもつかいこみ、徴収期限がくると上人から借金をして穴埋めをしていた。
その金がつもりつもって、七両近くになっていた。上人は周に返済する力がないことを承知していたので、一度も催促したことがなかったし、また周の不正を役所へ告げようともしなかった。周は上人に感謝していて、顔をあわせるたびに必ずこういった。
「わたしにはご恩に報いる力がありません。だが、死んだら驢(ろ)馬(ば)になって必ずご恩返しをいたします」
上人の周に貸した金額がちょうど七両に達したある夜、誰かが水陸庵の門をはげしく叩いた。上人が起き出して行くと、門の外から声がした。
「お隣りの周です。ご恩返しにまいりました」
上人が門をあけると、外には誰もいなかった。誰かがいたずらをしたのだろうか、夜中に人さわがせな、と上人は思った。
その夜、水陸庵で飼っている驢馬が子を産んだ。
翌朝、上人が周のところへ行ってみると、周は死んでいた。昨夜門を叩いたのは、周の魂が別れを告げにきたのだったろうか、と上人は思った。
驢馬の子は、上人を見るとしきりに頭を振って、足で前掻きをした。周は死んだら驢馬になってご恩返しをするといっていたが、同じ時刻に周が死に驢馬が生れたことは、何かの因縁というものだろう、と上人は思った。
上人は驢馬の子を自分の乗用馬にした。
それから一年たったとき、山西の旅人が水陸庵に泊った。その旅人は驢馬を見て、是非ともゆずってほしいといった。
「わけがあって、これはおゆずりするわけにはいきません」
上人がそういうと、旅人は、
「それでは、貸していただけませんか。次の県城まで行って一晩泊りますが、すぐお返しにまいります。よろしいでしょう」
というのだった。
上人が承知すると、旅人は鞍(くら)にまたがり、手(た)綱(づな)を取って笑いながらいった。
「和(お)尚(しよう)さんをだましたのです。この驢馬が気に入りました。返すといいましたが、返さないかもしれませんよ。金を和尚さんの机の上に置いておきました。あとで受け取ってください」
そして、ふり向きもせずに驢馬を走らせて行った。上人はどうすることもできず、ぶつぶついいながら部屋へもどった。そして机の上をみると、周に貸した金と同額の七両がそこに置いてあった。
清『子不語』