魏(ぎ)伯(はく)陽(よう)は呉の人である。名家の生れであったが、道術を好んで家を捨て、三人の弟子とともに山にこもって神(しん)丹(たん)を煉った。
ようやく神丹が煉りあがると、伯陽はそれを三人の弟子に示していった。
「まず、犬に試してみよう。犬がこれを飲んで空を飛べば、人も飲んでよろしい。だが、もし犬が死ねば、人も、飲めば死ぬだろう」
そこで犬に飲ませてみたところ、犬はたちまち死んでしまった。すると伯陽はいった。
「心を込めて煉ったはずだが、犬が死んだところを見ると、まだ神明のお心に適(かな)わなかったのであろうか。飲めば犬と同じようになるが、さて、どうしたものであろう」
「先生は、どうなさいますか」
と弟子の一人がたずねた。
「無論、わたしは飲む。世を捨て家を捨てて山にはいったのだ。目ざす仙道が得られないからといって、おめおめと帰っていけるか。死のうと生きようと、わたしは飲む」
伯陽はそういって神丹を口にいれたが、いれたとたん、死んでしまった。
弟子たちは顔を見あわせて、
「不老長寿を得ようと思って神丹を煉ったのに、それを飲んで死ぬなんて……」
と後(しり)込(ご)みをしたが、一人だけは、
「先生は非凡なお方だった。これを飲んで死なれたのは、深いお考えがあってのことだろう。わたしは先生に従う」
といって神丹を飲み、やはりその場で死んでしまった。
残った二人の弟子は、
「せっかく煉った神丹で死んでしまうとは。死んでしまっては仙道も何もない。これを飲まなければ、あと何十年かは生きられるわけだ」
といいあい、伯陽と死んだ弟子との棺を買いに山を下りて行った。
その二人が行ってしまうと、伯陽はすぐに起きあがり、自分の飲んだ神丹を、死んだ弟子の口と犬の口とにいれた。すると弟子も犬も生き返った。
この弟子は虞(ぐ)生(せい)という人であった。虞生は師の伯陽とともに、犬をつれて仙界へはいって行った。その途中、山へはいってきた樵夫(きこり)にことづけて、虞生は郷里の人々に対する別れの挨拶を書いた。山を下りた二人の弟子はそれを見て、大いに悔んだという。
六朝『神仙伝』