張(ちよう)卓(たく)は蜀(しよく)の人である。長安に出て学問をしていたが、進士の試験に及第したので、両親に知らせに蜀へ帰ろうとした。しかし、驢(ろ)馬(ば)を一頭持っているだけだったので、荷物をその背に積み、自分は驢馬を追いながら歩いていった。
長安から斜(や)谷(こく)を通り、何日か歩いて洋州(陝西省)の近くまできたとき、急に驢馬が馳け出して草深い竹藪の中へはいってしまい、いくらさがしても見つからない。日は暮れてくるし、あたりには人家もなく、野宿をするには虎や狼の心配があるので、急いで歩いて広い街道へ出て、歩きながら人家をさがしていると、やがて大きな屋敷が見えた。
宿をたのもうと思っていってみると、きこりの風をした子供が一人、屋敷の中から出てきた。呼びとめてわけを話すと、子供は引き返していって、まもなく、一人の男をつれてきた。朱の冠をかぶり、高い靴をはいて、杖をついている。卓が挨拶をすると、
「あなたは俗界の人のようだが、どうしてここへ参られた」
ときく。卓がわけを話すと、仙人は、
「おお、あなただったか」
といい、部屋の中へ案内して、まず水を一杯飲まされた。清らかなよい香りの水で、飲むとにわかに身体が軽くなり、元気がついたような気がした。やがて料理が出された。食べおわると風呂にはいらされ、新しい着物に着かえさせられた。
「あなたは今夜、わたしの娘と婚礼をあげることになっている。まだ俗(ぞく)気(け)がぬけていないが、しばらくここに滞在すれば大丈夫だろう」
と仙人はいった。卓はそれを格別、不思議なことにも、唐突なことにも思わなかった。その夜、卓と仙人の娘との婚礼の式があげられた。
しばらく滞在しているうちに、卓は家へ帰りたくなった。すると仙人は、朱色の護符を二枚と黒色の護符を二枚くれて、
「黒色の一枚は頭にのせると人の家へはいるときに姿をかくすことができる。もう一枚は、左の臂(ひじ)に付けると千里以内の物は手をのばして取ることができる。朱色の一枚は手(て)強(ごわ)い相手に出会ったとき、舌の上にのせて口をあけて見せればよいし、もう一枚は左の足に付けると土地を縮め、また不意の難儀を防ぐことができる。だが、この護符をよいことにして、勝手なふるまいをしてはならぬぞ」
と教えた。
卓はその後、長安の大きな屋敷で、ふとその四枚の護符を使ってみたくなり、姿を消して中へはいってみたところ、美しい娘がいたので抱きかかえて外へ出た。
卓が外で様子をうかがっていると、まもなく屋敷中は大さわぎになった。卓はすぐ娘を返すつもりだったが、大勢の者がたちさわいで、返す隙がない。娘をおいて逃げようとすると、羅(ら)公(こう)遠(えん)、葉(しよう)法(ほう)善(ぜん)という二人の道士がやってきて、卓の姿を見破った。屋敷の者はどっと卓に襲いかかってきたが、卓が臂をあげると、壁ができたようでどうしても近づくことができない。
羅、葉の二道士はそれを見ると、
「あの方は太(たい)乙(いつ)真(しん)君(くん)のお使者のようです。令嬢さえ取りもどすことができればよいから、危害を加えてはなりません」
と屋敷の主人にいった。卓はそれをきくと、そっと娘を主人の方へおしやった。
羅、葉の二道士は、護衛の兵士をつれて卓を送ってきたが、途中までいくと、仙人が杖をついて待っていて、
「勝手なふるまいをしてはならぬといったのに」
といって笑った。
羅、葉の二道士と護衛の兵士はまだついてきたが、やがて仙人が杖の先で地面に線を引くと、それが広い川になった。たちまち川には大波がおこり、見る見る川幅が広がって半里にもなった。すると仙人についてきていた卓の妻が霞のうちかけを、その川にむかって投げかけた。と、たちまち中空に橋がかかった。
二人の道士は感嘆しながらそれを見ていた。橋がかかると仙人が先頭に立ち、卓がそのあとにつづき、妻がそのあとに従って、三人は橋をわたっていったが、その橋は三人のわたったあとの部分からつぎつぎに消えていった。そのあとには青い山が四方をとざし、切り立った崖が幾重にも重なって、どうするすべもない。
二人の道士が仙人たち三人の見えなくなってしまった姿にむかって礼拝すると、護衛の兵士たちもみなひざまずいて拝み、やがて引返した。
天子はそのことをきくと、すぐその山へ勅使をさしむけて、祭りをさせた。以来、その山は隔仙山と呼ばれるようになった。その山は洋州の西方七、八里のところに今もある。
張卓に何の徳があって仙人になれたのか、それはわからない。
唐『会昌解頤録』