豫(よ)章(しよう)にかなり大きな旅籠(はたご)屋(や)があった。主人の梅(ばい)という人はなかなかの善人で、よく旅人の世話をし、困っている者があれば助け、かなしんでいる者があればなぐさめ、僧侶や道士が泊ったときは、一文(もん)の宿銭もとらなかった。
よくこの家に泊りにくる道士があった。いつもぼろをまとっている、風采のあがらない道士だったが、梅はほかの道士や僧侶とすこしの差別もせず、手あつくもてなしていた。
ある日、その道士が梅にいった。
「わしはあした、一席設けなければならんのだが、ついては新しい碗を二十ほど貸してくださらんか」
「おやすいご用でございます。うちにあるいちばんよい碗をお出しいたしましょう」
「それはありがたい。あしたのその席に、ご主人もおいでくださらんか。わしの住居は、天(てん)宝(ぽう)洞(どう)の前で陳(ちん)師(し)といっておききになればすぐわかる」
「ありがとうございます。おうかがいさせていただきます」
梅がそういうと、道士は碗を持って帰っていった。
翌日、梅は天宝洞の前まで行き、村人にたずねたが、陳師の家といっても、誰も知らなかった。長いあいだきき歩いたがわからず、あきらめて帰ろうとしたとき、山の麓にひとすじの小道を見つけた。
たいへん清らかな道である。それをたどって行くと、はたして一軒の家があった。近づくと一人の少年が出てきたので、きいてみると、その家が陳師の住居であった。
なかへはいると、いつもはぼろを着て風采のあがらない道士が、華やかな衣冠をつけて迎え、梅を席につかせて、少年に食事の支度を命じた。
しばらくすると料理が出されたが、見ればそれは人間の赤ん坊をそのまま蒸(む)したものであった。梅はおそろしくなって、ぶるぶるとふるえがとまらなかった。勿論、手をつけることなどできない。
またしばらくすると、つぎの料理が出されたが、こんどは犬の子をそのまま蒸したものであった。梅はやはりふるえているだけで、手を出すことはできなかった。
すると道士は溜息をついて、
「いかんなあ」
といった。そして、少年に、
「きのうわしの借りてきた碗を、お返ししなさい」
といった。少年が持ってきた碗を見ると、二十の碗はすべて黄金にかわっていた。
道士は梅にいった。
「これをあなたに返します。お持ちかえりください。あなたは善人ではあるが、仙人となることはできない。いま出した料理は、はじめのは千年を経た人(にん)参(じん)で、あとのは枸(く)杞(こ)です。あなたがふるえてそれに手を出さなかったのは、あなたの宿命なのです」
そして、
「それではお元気で」
といって、梅を送り帰した。
その後、道士はもう梅の店に姿を見せなくなった。
宋『稽神録』