和州の歴陽県は、陥没して湖になってしまった町である。
むかしこの町に、小さな茶店を開いてほそぼそと暮している老婆がいた。ある日、その店の前を貧しい身なりの書生ふうの男が通りかかった。どこからきたのか、長旅をしてきたらしく、ひどく疲れている様子なので、老婆はあわれに思い、呼びとめて休ませてやった上、疲れがなおるからといって上等の茶をいれてすすめた。
書生はなんども礼をいい、うまそうに茶を飲みおわると、
「おかげさまで、だいぶん元気が出てきたようです。お礼に、誰も知らないことをお教えしましょう」
といった。
「この県の城門の礎石に、石亀が刻んであるでしょう? あの石亀の眼から血がでたら、この町は陥没して湖になってしまいます。お気をつけなさるように」
それからというもの、老婆は毎朝、城門へ石亀の眼をのぞきにいった。
門番の役人がそれをあやしみ、ある日、老婆にわけをたずねた。老婆が書生からきいたことを話すと、役人は笑いだして、
「お婆さんはそれを信じて、毎朝、石亀を見にくるのかね。ご苦労なことだ」
といった。
その夜、役人はいたずらをして、石亀の眼に朱を塗っておいた。翌朝、いつものように石亀の眼をのぞきにきた老婆は、それを見るなり、
「町が沈んでしまうぞ。みんな早く逃げろ」
と叫びながら、町の北の山へ逃げていったが、役人をはじめ誰もみな信じなかった。
そして、町は陥没してしまったのである。
六朝『述異記』