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中国怪奇物語113

时间: 2019-05-28    进入日语论坛
核心提示:  三つの予言 成(せい)都(と)に費(ひ)孝(こう)先(せん)という人がいた。軌(き)革(かく)の術にすぐれていて、世
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   三つの予言
 
 
 
 
 成(せい)都(と)に費(ひ)孝(こう)先(せん)という人がいた。軌(き)革(かく)の術にすぐれていて、世の人々に名を知られていた。軌革の術というのは絵を使って人の運命を予言する術である。
 あるとき、王(おう)旻(びん)という人が商用で成都へいった。商用はとどこおりなくすませたものの、ふと前途に不安を覚えて、費孝先に占ってもらった。すると費孝先は、
「止れといわれても止るな。洗えといわれても洗うな。一石(こく)の籾(もみ)を搗(つ)いて三斗の米がとれ、明に会えば助かり、暗に会えば死ぬ」
 といい、この言葉を忘れないようにと念をおした。
 王旻はそれを心にとめて郷里へ出発したが、途中で大雨にあった。そこである家の軒下に雨宿りをしたが、そこは通りがかりの人でいっぱいになっていた。そのとき王旻は、
「止れといわれても止るな、というのは、あるいはこのことかもしれない」
 と思い、大雨の中を歩きだした。すると、いくらもいかぬうちにその家が倒れ、軒下に雨宿りをしていた人々はみなその下敷きになってしまった。
 王旻の妻は、夫の留守中、隣家の康(こう)という男と密通しているうちに、身も心も離れなくなり、夫が帰ってきたら殺して康と夫婦になろうとたくらんでいた。
 王旻が帰ると、妻はひそかに康とうちあわせをして、夜中に夫を風呂へいれることにした。
 日が暮れると、妻は王旻に、
「お風呂をわかしたから、身体を洗ってさっぱりしなさいよ」
 といった。王旻はそのとき、
「洗えといわれても洗うな、というのは、このことかもしれない」
 と思い、風呂へははいるまいと心をきめた。妻ははじめはやさしい声ですすめていたが、いくらいっても王旻がきかないので、とうとう怒りだし、がみがみどなりたてながら自分だけ風呂へはいった。
 王旻は旅の疲れで、何も知らずにぐっすり眠ってしまった。翌朝、眼をさました王旻は、妻のいないことに気づいてあちこちさがしまわったところ、妻は風呂で頭を割られて死んでいた。
 疑いは王旻にかかった。王旻は逮捕されて取調べを受けたが、無実であるということのあかしを立てることができない。拷問にかけられて自白を迫られると、王旻は泣きながらいった。
「あかしの立てようがないのですから、死罪にするとおっしゃるのなら、あきらめて死ぬよりほかありませんが、わたしは無実でございます。費孝先さまの予言が、三つのうち一つしかあたらなかったとは! いや、あたったのかもしれません、暗に会えば死ぬ、とおっしゃったのだから」
 郡の役人が王旻のいったことを太守に伝えると、太守は刑の執行を待つようにといって、王旻を呼んでたずねた。
「費孝先の三つの予言というのは、どういうことか」
 王旻がわけを話すと、太守は、
「そなたは一つしかあたらなかったというが、三つとも見事にあたっているぞ」
 といい、
「そなたの隣家の者は何という名だ」
 とたずねた。
「康七郎と申します」
 と王旻がいうと、太守は、
「そなたの妻を殺したのは、その男にちがいない」
 といい、郡の役人に、康を捕えてきて拷問にかけよと命じた。康ははじめは否認しつづけていたが、拷問にかけられると堪えられずに、一切を白状した。康の家から血痕のついた棍(こん)棒(ぼう)も見つけ出された。康は王旻の妻を、王旻と思いあやまって棍棒で殴り殺したのであった。
 太守は郡の役人からの報告を受けると、王旻をなぐさめながらいった。
「洗えといわれても洗うな、というのもあたっていたのだ。もしそなたがあのとき風呂へはいったら、康に殴り殺されたのだからな」
「康の仕(し)業(わざ)だということが、どうしておわかりになったのですか」
 部下の者がそうたずねると、太守は笑いながら、
「わしの手柄ではない。費孝先の予言に教えられたのだ。一石の籾を搗いて三斗の米がとれる、と費孝先はいったのだ。まだ、わからぬか。一石の籾から三斗の米を引いたら、あとに何が残る? 糠(ぬか)が七斗残るのだ。糠(こう)七、つまり康七郎ではないか」
 王旻はこうして無実の罪を晴らされた。まさに費孝先のいったとおり、暗に会えば死ぬところを明(明察)に会って助けられたのである。
六朝『捜神記』 
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