会(かい)稽(けい)郡〓(ぼう)県の東の村に、呉(ご)望(ぼう)子(し)という娘がいた。年は十六で、なかなか愛らしい女であった。
近くの村に、太鼓をたたき舞いを舞って神おろしをする人がいた。あるとき、望子は招かれて、その人の家へ出かけていった。
望子が川の堤防ぞいに歩いてゆくと、川に一艘(そう)の舟があらわれた。舟には、見るからに身分の高そうな、人品いやしからぬ人が乗っていた。その人は従者に命じて、望子に声をかけさせた。
「もし、お嬢さん、どこへいらっしゃるのですか」
「川下の、神おろしをする人のところへ、招かれていくところでございます」
望子がそういうと、その人は、
「わたしもちょうど、その人のところへいくところです。この舟に乗っていっしょにいきましょう」
と誘った。
「ご好意はありがとうございますが、わたくしは歩いてまいります」
望子がそういってことわると、突然、舟も人も見えなくなってしまった。
やがて望子が神おろしをする人の家に着き、祭壇に拝礼して顔を上げると、そこに、さきほど舟に乗っていた人がいかめしく坐っているではないか。望子ははっとした。それは蒋侯の神像だったのである。蒋侯は望子に向って、
「遅かったではないか」
といい、蜜(み)柑(かん)を二つ投げてよこした。果物を投げるのは、その人に対する愛のしるしである。望子はその蜜柑を受け取った。
それからというもの、望子の家には蒋侯がしばしば姿をあらわし、二人はこまやかな愛情を結んだ。以来、望子が心の中でなにか欲しいと思うと、必ずそれが空から降ってくるようになった。桃を食べたいと思うと、新鮮なおいしい桃が降ってきたし、鯉(こい)を食べたいと思うと、ぴちぴちした鯉が降ってきた。また、望子の身体(からだ)からはえもいわれぬ芳香がただよい、数里さきまでもそれが香(かお)った。その上、望子には予言の能力がそなわって、なに一つあたらぬことはなかったので、人々はみな望子をあがめ尊ぶようになった。
ところが、それから二年たったとき、望子はふと他の男に心を動かした。と、それきり蒋侯はあらわれなくなり、望子の予言の能力もなくなってしまった。
六朝『捜神記』