華州に皇(こう)甫(ほ)弘(こう)という人がいた。
妻を亡くして鰥夫(やもめ)暮しをしていたが、念願がかなって州から進(しん)士(し)受験の推薦をもらうことができ、都へ上る準備をしていたところ、たまたま酒席で刺史の銭(せん)徽(き)の機嫌をそこねて、追放されてしまった。
そこで友人をたよって陝(せん)州に行き、あらためて推薦書をもらって都へ出かけたが、潼(どう)関(かん)を越えたところで、銭徽が試験官に任命されて華州から上京したということをきいた。
皇甫弘は、がっかりした。銭徽が試験官ではとても及第はできないと見切りをつけ、そのまま引き返したが、ある夜、小さな村の旅籠(はたご)屋(や)に泊ったところ、夢に亡妻の乳(う)母(ば)だった老婆があらわれて、
「旦那さま、どうして試験をあきらめてお引っ返しになるのです」
ときいた。皇甫弘が試験官に憎まれて州から追放されたいきさつを話すと、乳母は、
「おあきらめになることはありません。石(せき)婆(ば)神(しん)さまにお願いしてごらんなさいませ」
といった。
「石婆神?」
ときき返すと、乳母は、
「ご案内いたします」
といって、皇甫弘を村はずれの草原へつれて行った。そこに小さな小屋があった。小屋の中に、こわれかけたような石像が立っていた。
「うちのお嬢さまのお婿(むこ)さまでございます。試験を受けようとなさっているのですが、石婆さまのごらんになったところでは、お受かりになるでしょうか」
乳母は石像を拝みながらそういい、皇甫弘にも拝むようにすすめた。皇甫弘が拝むと石像は、
「受かる」
といった。すると乳母は皇甫弘に、
「石婆さまが受かるとおっしゃるのですから、必ずお受かりになります。あとでお礼参りをお忘れになりませんように」
といい、村の木戸まで送ってきたが、皇甫弘はそこではっと夢からさめた。
目をさましてから皇甫弘は考えた。
「はっきりした夢だったから、もしかしたらそのとおりになるかもしれない」
そこで夜明けを待ってまた引き返し、都にたどりついて試験を受けた。
試験官の銭徽は皇甫弘が陝州の推薦書で受験にきたのを知って一層腹を立て、ひどい目にあわせてやろうと考えていたが、詩文の試験が終ったあとでまた考えなおした。
「どう見ても答案はよくできている。おれがあいつを憎んでいることは誰もが知っているので、ここで落してしまうのはまずいだろう。及第さえしなければそれでよいのだから、ここはひとまず通しておこう」
そして次の経書の試験のときには、皇甫弘の答案は見ずに、合格者を決めてしまった。ところが、いざ合格者名簿を書こうとしたとき、どうしたことか銭徽は急に落ちつかない気持になってきて、合格者の一人をほかの者ととりかえたいと考えた。——もっとすぐれた答案があったはずだ、皇甫弘さえ及第させなければそれでよいのだから、もういちどほかの者の答案を調べて、すぐれたのと入れ替えよう、と思ったのである。ところが、いざ答案を調べなおしてみると、どれも決めかねるものばかりだった。繰りかえして読んでいるうちに、とうとう夜が明けてきた。そこで息子を呼んで、
「どれでもよいから、よさそうな答案を一つ取り出してみてくれ」
といった。
息子がさし出した答案をあけて見ると、なんとそれは皇甫弘のものだったのである。
「もう一つ、別のを」
といおうとして、銭徽は口をつぐんだ。
「おそらくこれは天の定めなのだろう」
そう思いなおし、皇甫弘を合格者の中へ入れて発表した。
皇甫弘は合格者の発表を見てから陝州へ帰る途中、夢で亡妻の乳母だった老婆に会った村に立ち寄って、
「この村のはずれに、石婆神という石像があるでしょうか」
と村人にたずねた。すると村人たちは笑いながら、
「石婆神だって? おかしな石の婆さんならありますよ。村の北の原っぱの牛飼いの子供たちがいたずらをして、大きな石に人間のような形を刻んで石の婆さんと呼んでいるのが」
といって道を教えてくれた。
皇甫弘は酒(しゆ)肴(こう)をととのえて行ってみた。小さな小屋も、こわれかかったような石像も、夢で見たのと同じだった。皇甫弘が拝んでいると、村人たちが物珍しそうに集ってきて、わけをきいた。
いま石婆神は立派な廟の中に安置されていて、村人たちだけではなく、周辺の町や村の人々からも厚く尊崇されている。
唐『逸史』